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論説 二月の祭祀にあたり 国家的意義の再確認を

平成29年02月13日付 2面

 正月を終へて二月を迎へた。この二月には紀元祭と祈年祭といふ、斯界にとって重要な二つの祭祀がある。神社本庁の神社祭祀規程では紀元祭が中祭、また祈年祭は大祭とされ、紀元祭は紀元節当日の二月十一日、祈年祭は二月十七日を中心に斎行されてゐる。
 紀元祭は、神武天皇即位を寿いで建国の理想を再確認し、国の隆昌を祈念する祭りとして、各種の奉祝行事も華やかにおこなはれてゐる。これに対して祈年祭は、春の耕作の始めにあたり五穀豊穣を祈る祭りで、「としごひのまつり」とも呼ばれる。「とし」とは稲の美称であり、「こひ」は祈りや願ひの意で、米をはじめとする五穀の豊かな稔りを祈るなどとされ、収穫感謝の新嘗祭と対をなす祭りとの説明が加へられるのが常である。
 中祭である紀元祭については、初代天皇の即位といふ極めて国家的な意義が強調される。しかし大祭である祈年祭については、例へば各神社における説明などを見てゐる限り、もちろん豊年を祈るといった公的な内容もあるが、国家的な意義付けについてはやや足りないやうにも感じられる。



 五穀の豊穣を神前に願ふ祈りは、新年を寿ぐ祭りをはじめ、春祭りと呼ばれる予祝行事や、月ごとの祭事である月次祭などでも常に捧げられてゐる。しかしなぜ、二月十七日の祈年祭といふ祭りが、神社祭祀の中で最高の格式といへる大祭といふ位置づけで斎行されてゐるのであらうか。春を祝ふ祭りであるならば、例へば立春におこなっても良いであらうし、また「年」といふ文字からは年頭の正月が連想されるが、どうして二月十七日に斎行するのかを明確に記してゐるものを目にする機会はない。
 古代の律令制度において祈年祭は重要な位置を占め、その重要性は古くは神祇令、その施行細則である「延喜式」からも見出せる。祝詞式の第一に祈年祭が掲げられ、神名帳には祈年祭にあたり班幣する全国の官幣社と国幣社が記載されてゐる。まさに国家の最大規模の祭祀として斎行されてゐた祭りだったが、各神社への奉幣は時代とともに変化し、また衰微することともなった。しかし明治維新以降の神社祭祀制度の復興により、祈年祭への奉幣が改めて制度化され、それぞれの神社では大祭で祭祀を執行することとなった。



 宮中祭祀と現行の神社祭祀規程を見ると、例へば祈年祭や元始祭・天長祭など賢所をはじめとする宮中三殿での祭典に際しては、神社においても大祭もしくは中祭を以て祭祀を斎行。このうち各神社で大祭として執りおこなはれるのは祈年祭のみである。また神武天皇祭や昭和天皇祭、春秋の皇霊祭といった宮中の皇霊殿における大祭の場合は、各神社で遙拝がおこなはれる。
 さうしたことも踏まへ、律令時代からの国家と祭祀との関連性を明らかにし、神社祭祀がただ単に個々の神社における祈りではなく、皇室・国家公共の祈りを含んでゐるといふ事実の再確認が必要ではないか。戦前の祈年祭・新嘗祭にあたっては皇室や道府県等による幣帛供進があり、国家的祭祀としての認識のもと祭祀が斎行されてきた。戦後この奉幣が廃止された後も、神職や参列者は幣帛供進に含まれた国家的意義を認識しつつ祭典に臨んでゐたのである。
 しかし年月の経過とともにさうした国家的意義への意識が薄れ、次第に祈年祭は豊穣祈願、新嘗祭は新穀感謝といった部分のみが強調されるやうになってきたのではなからうか。



 新嘗祭については元来、聖上御親祭のもとに夕の儀・暁の儀が執りおこなはれ、その大御手振りを拝することで国家的祭祀としての意義を考へる機会となるが、果たして祈年祭はどうか。残念ながら現在の祈年祭は、単なる地域の豊作祈願の祭りのやうに認識されてゐるのではないだらうか。もちろん豊作祈願には公的内容も多分に含まれるが、そこにどれほど国家的祭祀としての意識があるのかについては疑問が残る。さらに近年は、稲作等との関はりさへ稀薄化しつつあるといへる。
 かつての幣帛供進からは、神社祭祀の国家的意義を見出すことができる。それゆゑ神社本庁憲章で「神社本庁は、幣帛供進の伝統を重んじ、神社に本庁幣を献ずる」と定め、例祭などで本庁幣を献じてきた。祈年祭にあたり、国家的祭祀の歴史的な意義をもう一度考へ直すことが必要ではなからうか。

平成二十九年二月十三日

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