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杜に想ふ 周辺の話題 神崎宣武

令和6年06月17日付 5面

 学会の活動には疎い私であるが、それでも時々に、とくに若手の論文に目を通すやうにはしてゐる。最近では、『日本民俗学』第三一六号に掲載されてゐる某若手研究者による「伊勢湾周辺地域におけるボラの民俗―愛知県三河地域の事例を中心に」が興味深かった。
 そこでは、「近世以前のボラは、高級魚として神饌や儀礼にも利用される、縁起のよい魚であった」として、『日本書紀』以降の文献をたどり「祭り魚」としての歴史的な位置づけをはかってゐる。そして、民俗学関係の研究論文から事例を拾ひだして近・現代におけるその伝承を導きださうとしてゐるのである。
 たとへば、伊勢市村松町の宇気比神社では、二月の御頭神事の際に獅子頭に一匹丸ごと焼いたボラが供へられる、といふ。また、愛知県西尾市の熱池八幡社の「てんてこ祭」は、大根を男根と見立てて着けた厄男がボラの鱠を入れた「鱠箱」を持ち歩く奇祭として知られてゐる。さらに、志摩市浜島町の宇気比神社などに伝はる「盤の魚」神事もある。二尾のボラを手を使はず、真魚箸と庖丁だけで調理する。一般的にいふところの庖丁式である。
 さうした事例を基に、「ボラの聖性と霊性」「“出世魚”意識と魚の“格”」を考察していくのだ。そして、「沿岸部よりも、魚を購入せねばならない内陸の農村部でボラを利用する傾向がある点は興味深い」とするのである。
 ただ、さうでもあらうが、と少々首をひねらざるをえないところもある。“年寄りの冷や水”に相違ないが、いっておかう。
 ここでは、フィールドワーク(臨地調査)がなされてゐないのだ。修士論文の段階ではいたしかたない事情もあらうが、それをまとめ直して発表するところではフィールドワークを重ねておく必要があるだらう。たとへば、それが神饌なのか祝ひのごちそうなのか、しかと考察しなくてはなるまい。これは、先輩研究者よりも現地の実体験者に聞き確かめなくてはならないはずなのである。
 ボラは、スズキやブリと同様に出世魚だが、そのどの段階のものが尊ばれるのか、その考察も大事であらう。たとへば、浪華名物の「スズメずし」は、その名のとほり五、六寸(一寸は、約三センチ)でスズメ大のオボコを開いて腹に酢飯を詰めたもの。それが、やがて小ダヒに代はっていく。また、オボコがスバシリ・イナとの呼称を経て、一尺以上の成魚となりボラと呼ばれるやうになる。そのボラは、寒ボラが最美味ともされるし、その卵巣を塩漬けにして乾燥させたものがからすみとして珍味ともされるのである。
 さうした周辺の話題も無視はできまい。ただ、フィールドワークは、時間と費用がかかってロスワークである、と回避する傾向もある。さらに、ネットで多様な情報が集まる御時勢である。いたしかたない流れではあるが、私は、なほ“歩く・見る・聞く”ことの大事さを信じたいところなのである。
 今晩は からすみ三切れに 御神酒かな
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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