文字サイズ 大小

論説 遷宮準備委が初会合 遷宮奉賛に万全の準備を

令和6年08月19日付 2面

 今号掲載の通り、神宮式年遷宮準備委員会の第一回会合が七月三十一日に都内で開催された。
 同委員会は、四月八日に天皇陛下より御聴許を賜った第六十三回神宮式年遷宮に係る重要案件について、調査・協議する神宮大宮司の諮問機関として設置。このたびの会合では式年遷宮の意義と沿革や御準備の経過をはじめ、基本的構想として諸祭・諸行事、御装束神宝、御造営、遷宮費試算について、それぞれ説明があったといふ。
 会合冒頭で久邇朝尊神宮大宮司挨拶が述べたやうに、「皇家第一の重事、神宮無双の大営」と称される式年遷宮を国家・民族の一大祭典とするため、また国民総参加のもと奉賛活動を展開していくためにも、今後の慎重審議を望むものである。


 前回の式年遷宮と同様、天皇陛下より御聴許を拝した年の七月に開催された神宮式年遷宮準備委員会の初会合。前例に倣へば年内複数回の会合を経て、諮問に対する答申が提出される。前回は提出された翌年、答申に基づき執行機関の「神宮式年造営庁」、審議機関の「神宮式年遷宮委員会」、募財機関の「財団法人伊勢神宮式年遷宮奉賛会」(財団設立認可は翌々年)などがそれぞれ発足。このうち斯界が総力を挙げて取り組んだ募財活動に関しては、奉賛会の財団設立認可ののち、神宮のお膝元・三重県を皮切りに全国各都道府県において地区本部が設置された。
 この間、御聴許の翌年には遷宮諸祭・諸行事の嚆矢として山口祭・木本祭が斎行され、同年中に御杣始祭、御樋代木奉曳式、御船代祭も執りおこなはれるなど本格的に造営事業が始動。さらにその翌年には第一次御木曳行事があり、全国の神社関係者なども特別に参加した。またこれに先立ち、次期式年遷宮広報事業準備委員会を発展的に改称する形で、神宮司庁・神社本庁・神社新報社の三者による遷宮広報本部も設立されてゐる。
 もちろん、社会情勢など諸状況の変化などを踏まへ、日程等のすべてが前回同様といふわけではないだらう。いづれにしても遷宮完遂に向けて、まづは前例を参考にしながら万全の準備を整へておきたい。


 をりしも神社本庁では今春、第三回「『伊勢神宮』に関する意識調査」を実施。今後、九月一日付「月刊若木」において調査結果の概要を紹介し、また来年六月を目処に詳細な報告書を刊行する予定だといふ。
 先日の本庁役員会で示された調査結果の説明資料によれば、神宮の認知度が平成十六年の第一回調査、同二十六年の第二回調査に引き続き一〇〇%に迫る極めて高い数値となった一方、遷宮の認知度は一八・七%、五二・四%、三四・八%と推移。前回遷宮の直後だった第二回の調査では比較的高い数値だったものの、その後は低下傾向にあるやうだ。類似した状況は神宮大麻の認知度においても見られ、神宮が広く認知されてゐる現状のなかで、遷宮や神宮大麻についていかに周知を図っていくのかが斯界にとっての課題といへよう。
 かねてより「遷宮の奉賛」「神宮大麻の頒布」「参宮の促進」が神宮奉賛の三本柱といはれてきた。遷宮奉賛に向けた活動の本格的な開始を目前に控へ、その円滑な推進のためにも、神宮の認知度の高さを活かした三本柱の取組みが相乗効果を生み、それぞれ一層の成果を挙げるやうな方策を斯界一丸となって考へていきたいものである。


 今回、神宮式年遷宮準備委員会の第一回会合にあたり、久邇神宮大宮司が国家・民族の一大祭典とすることや、国民総参加による奉賛活動の展開に言及したやうに、伊勢の神宮における式年遷宮は、決して東海地方の一宗教法人における私的な宗教行事などではない。確かに戦後、神宮は法的には一宗教法人となった。ただ例へば、その法的な規則には「神宮に祭主を奉戴する。祭主は大御心を体して神宮をいつき奉る。祭主は、皇族又は皇族であった者とし、勅旨を奉じて定める」と明記されてをり、この意味するところは極めて重いといへよう。
 かうした悠久の歴史を背景とした皇室と神宮との御関係、また国民の皇室への敬慕と神宮に対する崇敬、さうしたわが国の国柄を改めて確認しつつ、決意新たに遷宮奉賛に向けた諸準備に臨みたい。
令和六年八月十九日

オピニオン 一覧

>>> カテゴリー記事一覧