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杜に想ふ 祈りのかたち 山谷えり子

令和6年09月09日付 5面

 夏休みも終はり、日焼けした子供たちが学校へと登校していく。堀辰雄の小説『風立ちぬ』は「それはもう秋近い日だった」「そのとき不意に、何処からともなく風が立った」との描写で始まるが、まだまだ暑い日も多いと思ひながらパリ二〇二四パラリンピックを見た。
 ところで、わが家の中学二年生(男子)の孫の夏休みに出された課題図書は『ビルマの竪琴』(竹山道雄)であった。昭和二十二年から二十三年にかけて「赤とんぼ」(実業之日本社発行)といふ子供向け雑誌に連載されたもので、皆さま御存じのやうに、ビルマ(現・ミャンマー)で戦った部隊のなかで竪琴を巧みに奏でる水島上等兵といふ男が敗戦後も部隊から外れてビルマに留まって僧となり、仲間が捕虜収容所から帰国の路につくことを知らされたあと、戦友に心情を記した手紙を残して残りの人生を戦死者を葬りながら異国の地で慰霊に尽くしていくといふ話である。ともに帰国を切に願った仲間たちはその覚悟を知らされ、その思ひを深く受け止めなほして、それならばと自分たちは日本に帰国したあとの国の再建を覚悟するといったストーリーは、正直なところ現代の中学二年生にどのやうに理解されるのだらうかと思った。実際、先生も戦争に絡む話なので時代感覚のズレはあるだらうけれど読み通してほしいと語られたといふ。
 孫は当初、慰霊に残りの人生を捧げる生き方や、祖国に帰らない選択などは理解しにくいやうだった。しかし、オリンピック・パラリンピックの試合を見ながら、何かを犠牲にしてでも捧げる価値のあるものに生命を燃やす生き方、覚悟のあり方に何かを感じたのかもしれない。読み終へる時には美しさと尊さを感じたやうだった。
 竹山氏は当時、戦死者の冥福を祈る風潮が失はれていき、日々の生活に追はれるあまり心が貧しくなっていくかにみえる日本に、真の希望の源となる力をよみがへらせたい思ひがあったのであらうか。作中の小隊のなかで歌はれる「埴生の宿」「荒城の月」「あふげば尊し」などが新潮文庫の巻末に楽譜入りで記されてゐたので、私がピアノを弾き、孫に歌ってみせた。南方で戦闘機乗りとして戦ひ傷痍軍人となった父が、私の幼い頃、夕食のあとにアジア各地の歌をオルガンで弾いてよく歌ってくれたことが思ひ出されて胸がキュンとなりもした。「おつりの人生、亡き戦友たちに申し訳ない」をよく口にしてゐた表情も忘れられない。その言葉は鎮魂の祈りだったのかもしれない。
 長い夏休みなればこそ、このやうな時間がもてたことがありがたく、宿題をだされた先生に感謝しながら、私自身も浄化される思ひがした。
(参議院議員、神道政治連盟国会議員懇談会副幹事長)

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