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論説 神道教学研究大会 教学構築に不断の努力を

令和6年09月09日付 2面

 「現代の神社神道と神職団体―その出発点を考へる―」を主題とする第四十一回神道教学研究大会が八月二十六日に神社本庁を会場に開催された。各地の神職や教学顧問・教学委員・研修委員をはじめとする四十四人が出席したほか、今年もウェブ会議システムを併用し、全国二十六カ所のサテライト会場等において四十五人が視聴した。
 内容の詳細は記事に譲るが、神社本庁・神社庁の設立過程を再確認しつつ現今の課題抽出を企図した基調発題では、精緻なレジュメとともに本庁・神社庁の設立に関する網羅的な資料が示された。また神社庁の設立経緯について四氏から研究報告があり、さらに事務局から神社庁内神殿に関するアンケート調査の結果も配布されてゐる。
 今回の大会が契機となり、各都道府県において昭和四十年代から平成始めにかけて刊行された神社庁史(誌)の増補・追補等の作業がおこなはれることなども期待したい。さうした営為こそが、これからの神道教学の興隆にも繋がっていくと信じるものである。


 基調発題においては、神社本庁の設立に尽力した葦津珍彦が、その経緯などを語った際に用ゐた「仮バラック」といふ表現に言及。葦津の弟子の一人である澁川謙一の回顧談などに基づき、本庁が完全なる教学体制を執り得てをらず、さうした不備が将来、自らの存在意義の喪失へと繋がっていくのではないかといふ危惧が紹介された。
 澁川の言を借りるならば、「仮バラック」から「新たな理想の本建築」を求めていく継続的かつ重層的な教学的営みが必要だといふことでもあるが、さうした営みは何も教学研究大会のみで担へるものでもないだらう。本庁組織全体として、今後も教学構築に関する不断の努力を続けていくべきである。
 また各神社庁の設立経緯に関する研究報告にあったやうに、神社庁の歴史は本庁の出先機関としての上意下達的な庁務遂行機関としてのものだけではなく、戦前の神道事務分局・皇典講究分所・神職会の存在を前提に、各地においてさまざまに活動してきた先人たちの歩みの積み重ねでもある。さらに神社庁固有の自治事務的な庁務について改めて確認することも重要で、単に他の神社庁との比較といふことではなく、神職の同志組織として、なにより斯道の興隆発展・道統の護持継承を目指す団体としての視点から、その活動を考へていくことが求められよう。


 かうした基調発題や研究報告は、各神社庁における初任神職研修の講義として設定されてゐる「神社本庁史に関する講義(含む神社庁史)」に大きく関はるものだった。その意味では、各神社庁の研修所講師など当該講義の担当者こそ聴講すべき内容だったともいへるのではなからうか。
 戦後占領期の本庁設立から七十八年を経て、その苦難を知るいはゆる本庁第一世代の神職をはじめ当時の神社関係者の多くはすでに顕幽境を異にしてをり、現在は子や孫にあたる第二世代から第三世代へと世代交替が進んでゐる。そのため本庁・神社庁の草創期を直接には知らない世代が過去の「歴史」として本庁史・神社庁史を講義し、先人の苦難を後進へと伝へてゐるのが現状といへる。
 神社本庁・神社庁の設立当時の精神を次世代へと確実に繋いでいくためにも、初任神職研修に限らず関連する専門研修や各種研修の実施など、何らかの形で今回の大会成果を共有するやうな機会が設けられることを望みたい。


 基調発題で指摘されてゐたやうに、本来は占領政策に対応するために過ぎなかった暫定制度を、いつしか「理想的恒久制度」であるかのやうに思ふ気風が生じてゐることを葦津は憂へ、「神社が自ら私人の一宗教の類と認めることは決して許されない」と説いた。ただ社会の大きな流れのなかで、現在はこの私法人としての側面がより一層強くなりつつあるのではなからうか。
 「神職組織」を基層とし、一昨年は「神職組織と神宮奉斎」、昨年は「神職とは何か」、そして今回「現代の神社神道と神職団体」を主題として実施された教学研究大会。これまでの一連の内容を踏まへ、「国家の宗祀」としての本質を有する神社のあり方、その神社に奉仕する神職とは何か、また組織としての神社本庁・神社庁の存在意義などについて、今後も神職一人一人が問ひ直し続けることが必要だらう。
令和六年九月九日

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