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杜に想ふ 禊と鎮魂の先に 涼恵

令和6年09月16日付 5面

 先日、畏れ多いことに、一般の方を対象とした神道行法錬成研修会を開催させていただいた。
 もう十数年前になるが、石上神宮さまにて初めて禊と鎮魂を体験した時の衝撃と感動は未だに忘れられない。魂が奥底から喜び、生々発展と生命讚歌を己の全身で感じ、理窟抜きで元気になった。何度か研修に参加させていただくたび、他ではなかなか得られない大切な自己鍛錬の場であるとの想ひが強まった。
 神職の本分は清浄の徹底――禊や祓へとは能動的なもので、本人の取組み次第でいかやうにもなる。鎮魂とは息の技。「息」は“自分の心”と書き、生きるとは、息ること。息を整へることは心を整へること。水は低きに流れてしまふもので、高きには流れてゆかない。だからこそ、自分を律したり、鍛錬したりすることが必要なのだと。
 神道行法錬成は行学一致で、実際にその身を使って初めて得るものがあると、当時の森正光宮司から学んだことは計り知れない。大切なことをさらりと仰るお姿はまさに水を人格化したやうな方だった。
 そのやうな学びを一般の方が体験する機会は少なく、もったいないことと感じてゐた。今回初めて石川・白山比咩神社さまの多大な御協力と御理解をいただき、実現することが叶ったことにたいへん感謝してゐる。
 研修はお蔭さまで充実した内容となり、禊を終へたら彩雲が、鎮魂を終へたら鳳凰のやうな雲が現れ、参加者の皆さまも大いに感動されてゐた。ただただありがたく、水も光も風も雲も、神さまは自然現象によって現れるものだと今回も教はった。
 初日の夜は、宿泊施設でミニコンサートを開催させていただいたのだが、能登半島地震で輪島から白山に避難されてゐた御家族たちも参加してくださった。私自身も阪神・淡路大震災を体験してをり、研修中に被災した方々と交流があったことに意味と御縁を感じて已まない。終演後、とても力強い声と表情で「頑張ります!」と発せられた言霊が今でも心に響いてゐる。
 無事に研修を終へた後は、能登まで足を伸ばし、七尾市・和倉温泉や能登島、輪島へと慰問演奏に伺った。昨夜お逢ひした御家族から伺ってはゐたものの、現地の様子は想像以上に深刻で、震災から七カ月も経つといふのに倒壊した家屋や瓦礫が手付かずのまま、復興はかなり遅れてゐた。
 何事も実際に行動しないと見えてこない景色がある。先程までの満たされた感覚とは対照的に、圧倒的に人の手が足りてゐない場所があることを目の当たりにし、愕然とした。神道行法錬成研修を終へたばかりといふこともあり、次の課題を与へられたかのやう。
 能登で体験したお話のつづきを次回書かせていただきたい。光と陰を同時に感じてゐる。

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