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杜に想ふ 能登の姿 八代 司

令和6年09月23日付 5面

 昨年と並んで統計史上最も暑い夏と気象庁から発表された異常気象の今夏。八月八日には「南海トラフ地震臨時情報」として巨大地震への注意喚起があり、同月下旬には伊勢湾台風並みと予想された巨大台風が襲来するとの報道が駈け廻った。巷ではそれらへの恐れから防災備蓄のための買ひ占めや、さらには連日の猛暑の影響による稲の生育不良との報道もあって、ここにきて「令和の米騒動」とさへ銘打たれてゐる。実際に、東京で単身赴任中の義兄や姪は米が手に入らないとのことで、金沢に住む姉が米を買って送ったと聞いた。新米も出始めたが高値との報道も。
 さて、元日の能登半島地震により、私の故郷である能登半島の状況も一変した。実家や近所の建物の全半壊はあの日からほぼ変はらぬ光景で、わが家の土蔵も公費解体の順番の連絡をただ待つ日々。近所で家屋の解体工事が始まると、うらやましさとともに寂しさが錯綜する。
 わが家の祖先も眠る近所の寺の墓地では、倒壊した墓石が並ぶ。旧知の石材業者には「急がなくても良い」と言った手前もあるとは言ふものの、表面に「先祖代々之墓」と刻まれた棹石が落下して地面に倒れてひっくり返ったままの姿を見るのは忍びなく、お盆には墓参はせず、床の間に仮置きしてゐた祖先の位牌にだけ手を合はせた。
 仮置きと言ふのにも余話がある。震災後は親戚や隣近所が仮設住宅に入るなどの理由により仏壇を処分したと処々方々から聞き及び、わが家でも大規模半壊の認定を受けた家屋はジャッキアップだけでは何ともならず、一間間口に納まる大きな仏壇の処分を考へてゐた。しかし七センチ傾いた座敷の仏間の床面を取り壊し、新たな基礎と鋼製束も入れて床面を張り替へて極力平衡を取ることとなった。亡父作庭の露地を眺めるための全面ガラス窓だった縁側は三分の二を塞ぎ、また日本家屋ならではの開口が広い要所〱の襖や障子部分も新たに耐震壁へと造り替へるなどして、相応の耐震補強ができ、座敷もこれまでの畳床からフローリングへと改築、仏壇も元の位置に納められた。これも御自身が被災しながらも造作の段取りを工面してくれた出入りの大工さんのお蔭と母とともに心の底から感謝してゐる。
 ふと、平成九年の歌会始での御製を思ひ出した。勅題「姿」として上皇陛下には「うち続く田は豊かなる緑にて実る稲穂の姿うれしき」とお詠みになられた。この御製は前年に石川県珠洲市蛸島漁港で「つなぐ手と輝く心で海づくり」を大会テーマとして開催された全国豊かな海づくり大会への行幸の際に御覧遊ばされた能登の田園風景を詠ませられたと承る。まさに国見の大御歌。
 見上げる空も高くは感じるものの熱い日々が続いてゐる。秋津との古名を持つ赤トンボも飛び始め、黄金色に稲穂波打つ往昔の能登の姿を想った。
(まちづくりアドバイサー)

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