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論説 「令和の米騒動」 稲作・農業を考へる契機に

令和6年09月23日付 2面

 地域等によって状況は異なるやうだが、店頭から米が姿を消すといふ異例の事態が報じられてゐる。「令和の米騒動」などともいはれるが、新米が市場に出回り米の供給が恢復すれば次第に鎮静化に向かふやうだ。
 その新米を神前に奉り収穫に感謝を捧げるとともに、皇室の繁栄と国家の安寧を祈念する新嘗祭。かねて「新嘗祭が終はるまで新米は食べない」との話も聞くが、さうしたことも神々の恵みによって秋の稔りが得られたことに対する感謝の念の表れといへるだらう。米不足といふ今回の事態にあたり、いはゆる初穂に限らず野菜・果物や魚介類などを含め、その年の初物を神前に供へて奉告し、感謝の意を示すといふ行為の尊さも改めて考へたい。


 遡ること約三十年前の平成五年にも米不足が発生してゐる。この時は冷夏による凶作が原因で、政府はその反省により備蓄米制度を設けた。同制度は毎年約二十万トンの米を買入れ、それを特別な保管方法で五年間備蓄し、五年を過ぎたら飼料用等として売却するといふものである。この制度により常に百万トン程度の米が備蓄されてゐるが、今回の米不足にあたり政府はその市場放出には慎重な構へだ。
 政府による備蓄米の放出に関しては、流通・米価への影響、消費者の利益や生産者の保護など、さまざまな観点から意見・要望が聞かれ、農政の難しさを改めて感じさせられる。近年、わが国の稲作・農業をめぐっては、食料安全保障の確保をはじめ数々の課題が指摘されてゐるが、生産者の保護のあり方などもその一つといへる。米不足は日々の生活に関はるだけに関心も高い。その関心をわが国の稲作・農業をめぐる現状と課題の理解促進、さうした問題意識の共有に繋げていきたいものである。


 農林水産省が今年五月に公表した「食料・農業・農村白書」によれば、普段から仕事として主に自営農業に従事してゐる基幹的農業従事者の数はこの二十年ほどの間に半減し、平均年齢が六八・七歳となるなど高齢化が進行してゐる。稲作に限らず日本の農業全体で担ひ手が不足してをり、昨今は肥料・燃料など生産用資材の価格高騰にも苦しんでゐる。一方の消費者としては食料品価格の値上げが続くなか、食費を少しでも安く抑へたいと思ふのは当然である。ただ、農産物や食品の合理的な価格形成等により農業従事者の待遇改善を考へていかなければ、農業のさらなる衰頽、ひいては食料供給の破綻は避けられない。
 わが国の稲作の歴史が遠く神代の「斎庭の稲穂の神勅」に遡ることは、いまさらいふまでもない。ただ稲作・農業が多くの課題を抱へるなか、斯界として具体的に何らかの形でその支援をしてきたのかと問はれれば、耳が痛い部分もあるのではなからうか。教学面では平成の大嘗祭に際して神道と稲作との関係性の再確認が図られたが、その後、さうした教学を深化させたり、具体的な行動に移したりするやうな取組みがどれほど積極的におこなはれただらうか。先述の平成の米不足の際、本紙「主張」欄において「神道の本質や祭りの意義と農林業等第一次産業のあるべき姿との関係を神社界は真剣に考へるべき」との指摘がなされてゐたが、その主張を改めて真摯に受け止めたい。


 世界を見渡せば、生業としての農耕・漁撈・遊牧・狩猟など多様な営みのなかで、それぞれ豊かな精神文化が育まれてきたやうに、信仰や思想は生活と密接に関はる。わが国では主に稲作との関はりのなかで、共同体の結束を重視するとともに、自然の働きに神々の存在を感得し、その恩恵と脅威に畏敬の念を抱きながら、連綿と生活が営まれてきた。豊葦原瑞穂の国としての原風景を守ることは、わが国において受け継がれてきた精神文化の護持継承にも繋がっていくのではなからうか。
 本紙前号では、今年も天皇陛下が御親らお稲刈りに臨まれたことが報じられてゐたが、まづはそのことを改めて重く受け止めたい。斯界でも各地の神田において子供たちの稲作体験等の事業が続けられてきた。「令和の米騒動」ともいはれる現在の状況下、さうした稲作に纏はる取組みのさらなる推進が、稲作・農業の現状と課題の理解促進、さらにはわが国の国柄の護持継承にも結び付いていくことを切に願ふものである。
令和六年九月二十三日

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