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杜に想ふ 伐採清祓祭 神崎宣武

令和6年09月30日付 5面

 私の郷里(岡山県美星町)では、各集落(ほぼ小字単位)ごとに産土荒神を祀ってゐる。
 吉備高原上での集落の成立が中世の頃にさかのぼることができるので、共同開墾にちなんでの信仰といふことができるだらう。
 向川東といふ集落の荒神社の隣地には、自治公民館が建ってゐる。一段高いところにある荒神社は、山林に囲まれてゐる。その階段寄りのところに、杉の巨木が立つ。胴回りが四メートルにも及ぶもので、近隣ではいちばんの古木でもある。
 その巨木が朽ちてきた。内側が空洞化してゐるし、枝が枯れ落ちだした、といふ。そのため、公民館の屋根を壊さないうちに伐採する、と役員会議で決めたさうだ。
 そこで、「伐採前に拝んでほしい」と、私に言ってきたのである。暑い盛りではあったが、伐採清祓祭をおこなった。
 巨木に注連縄を巻き、その正面に神籬と御幣と神札を立てた。そして、神饌を供した。
 祭神として祀るのは、木の御祖・木々能智神。備中地方では神楽の「五行」を通じてその存在を知る人も多い。
 祭式の次第については、記すまでもなからう。が、祝詞について少しだけ付記しておく。
 伐採清祓祭は、いふなれば雑祭式である。
 その種の参考書もあるが、座右の書は、『表白・願文・祭文集』。密教(天台宗・真言宗)系の祈願文集である。今でも、時折に開いてみる。
 そのなかに、「樹木伐採式」法要の祭文もある。そこでは、大聖釈尊を樹木との因縁深し、として供養する。「竟んじて涅槃し玉うは沙羅双樹の下なり」とか。そして、伐採せんとする樹木は、この地(家)を護ったものであり「報謝せずんばあるべからず」、とある。そして、次のやうに結ぶのである。
 「願わくは、本尊諸尊、速やかに当樹木の霊性を解き玉い、諸の障碍無く、殊には当家並びに伐採関係者、諸難無く、家門吉祥、所願成就ならしめ玉え」
 明治初年の神仏判然令によって、公的な制度上では廃仏毀釈と相なった。神仏習合の歴史に終止符が打たれた。しかし、民間では、旧家に神棚と仏壇が共存して伝はるごとくに、その伝承は消えることがなかった。
 この場合の雑祭式でも、さうである。神職も僧侶も、それぞれに神仏が習合時代の祝詞と祭文を伝へてきたのである。その共通するところは、祭神や本尊はもちろんだが、自然界に宿る神仏の霊を敬ふことである。そして、その大地や樹林を清め、そこに携はる人々の安全をも祈願する。アニミズムの伝統、といふこともできようか。
 一神教を崇拝してその教義を生活律とする諸国には通じにくいところでもあらう。しかし、たとへば日本文化に興味をもつ留学生たちのなかには、真摯に対峙する者もゐる。ゆゑに、私どもも次代にしかと語り継いでいくべきではあるまいか。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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