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杜に想ふ 礼儀のかたち 神崎宣武

令和6年10月21日付 5面

 久しぶりに会津を訪ねた。福島県立博物館(会津若松市)で「ふくしまの酒造り」展を催してをり(九月二十一日~十二月一日)、そこでの講演会を頼まれたのである。
 会津は酒どころである。江戸後期、藩の殖産政策で清酒造りが発達した。それ以前からの濁酒造りも盛んで、祭礼時にはそれを再現して神前に供へる「どぶろく祭り」が多いところでもある。その展示は、じつに見ごたへがあった。が、それは、ここではさておく。
 前日から来ないか、といふお誘ひがあった。喜多方市のY酒造での懇談会があり、そこには「蔵の町」の伝統を尊ぶ人たちが集まる、といふ。
 蔵に隣接しての旧家の座敷。八畳間二部屋を開放してあり、三十人ばかりが座ることになった。主催者であるY酒造の会長が、自社の古い蔵をギャラリーとして再生させる計画を述べる。また、女性のKさんは、古民家をアトリエとして外部から若手作家を招き、創作活動をしてもらってゐるといふ作品群を紹介する。その他も各人がワンスピーチ、それぞれが喜多方に愛着をもって協調してゐることがよくわかる。
 私がこれまでみてきた地域おこしの会合では、いちばん話題が豊富であった。
 興味深い装置系がひとつあった。それは、神棚である。
 私は、上の座敷に座ってゐたので、下の座敷の鴨居上にあるそれを横から眺める状況にあった。正面から拝したい、と思ったが、酒席をかきわけて行くわけにもいかない。が、ひとまづ解散といふ時になって、その前の席が一列空いた。
 私は、会長に断って、神棚を拝することにした。
 二間の神棚の真中が区切られてゐる。向かって左側に地元の神々が祀られてゐる。氏神、松尾明神、それに祖霊神。松尾神社は、会津では仏寺の末社であったのを江戸時代に独自の神社として祀り直したものだ、といふ。なほ、酒蔵には京都の松尾大社から受けた神札が祀られてゐるのである。
 両方ともに、会津塗の朱色の盃が置かれてゐた。私どもがいただいた吟醸酒が供へられてゐるのであらう。
 私は、型どほりに拝した。会長と夫人が共に拝礼した。
 すでに、半数の人が退席してゐた。そこに、初老の男性が息せききってやってきた。そして、神棚を拝した。
 「いやあ、失礼しました。はじめに私共が敬意をはらはなくてはならないのに、お恥づかしいことです」
 もちろん、私は、自分の流儀としてさうしただけである。が、嬉しい反応であった。
 日本での信仰は、自由である。が、この程度の礼儀は守り伝へるのがよいのではあるまいか。「蔵の町」の伝統を尊ぶ人たちのこの会も次回からは、と期待したことであった。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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