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論説 教誨師研究会 教化活動の底力向上にも

令和6年10月21日付 2面

 第七十三回神社本庁教誨師研究会が十月三日・四日の二日間に亙り、岩手県で開催された。今回は「神社本庁教誨師の後継者養成にむけて」を主題とし、全国各地の矯正施設で教誨活動に尽力してゐる神社本庁教誨師約三十人が参加した。
 二日間の日程中は、全国教誨師連盟事務長の谷澤正次氏(元府中刑務所法務教官)が基調講演をおこなひ、懲役刑と禁錮刑を拘禁刑に一本化する刑法の改正(令和七年六月施行)をはじめ、宗教教誨をめぐる昨今の環境の変化などを解説。その後の分散会・全体会では後継者養成の方途について議論するとともに、日頃の実践活動や所属施設の状況などについて情報交換をおこなひ、また施設見学(盛岡少年刑務所)もあった。
 かうした研究会を通じて教誨師の後継者養成をはじめとする課題や、宗教教誨をめぐる環境変化などの情報を共有することで、教誨活動のさらなる充実が図られることを期待したい。


 約二万一千人の神職のなかで神社本庁教誨師に委嘱されてゐるのは、わづか百三十五人に過ぎない。しかしながら、刑務所・少年院等の矯正施設において神道信仰に基づき宗教教誨に尽力してゐる教誨師の存在は、斯界において重要な意味を持つ。
 その取組みは矯正施設の被収容者を対象とする極めて特殊な教化活動であって、例へばそこで生半可な道徳などを説いたのでは、さまざまな体験を経て入所してきた被収容者の心にはなかなか響かないだらう。その活動に本気で取り組めば取り組むほど、信仰・教学への自問などを含めた精神的な負担は避けられず、時に身を削るやうな苛酷なものとなることは想像に難くない。
 「惟神の道言挙げせず」ともいはれるやうに、そもそも地域社会や家庭における日々の営みのなかで当たり前のやうに継承されてきた神道信仰だが、昨今は社会環境の変化などから神職による説明が必要となる場合も少なくない。神道信仰を語るといふ活動は何も教誨師にだけ求められるわけではなく、神道教化や神道教学の深化のためにも、すべての神職が真剣に取り組むべき事柄ともいへるだらう。


 そもそも教化活動とは、参拝者の増加や神符・守札の増頒布による社入の増加などを最終的な目的とするものではない。本庁草創期から長く教化施策の推進に携はってきた庄本光政は神道教化について、「神道的理念の具体的滲透を目的とする一切の対社会活動」と定義したが、神職による教誨活動こそ、かうした定義のなかに位置付けられるものであらう。
 全国教誨師連盟では教誨の目的に関して、「自己の信ずる教義に則り、宗教心を伝え、被収容者の徳性を涵養するとともに、心情の安定を図り、被収容者には自己を洞察して健全な思想・意識・態度を身につけさせ、同時に遵法の精神を培い更生の契機を与える。もって矯正の実をあげ、社会の安定に寄与する」と説明する。再犯防止のために地域社会の理解と協力が求められる昨今、被収容者に更生の契機を与へ、矯正の実をあげ、社会の安定に寄与するといふ教誨活動は、地域社会を基盤とする神社と、また常に地域社会の安寧を祈る神職とも決して無縁ではない。
 神道教化のあり方や地域社会における神社・神職の役割を考へる意味でも、より広く教誨師の活動について理解を深め、その重要性を再確認したい。


 重要な役割を果たしてゐる教誨師だが、その位置付けはあくまで民間のボランティアであり、先にも触れたやうに精神的な負担なども少なくない。
 今回の研究会でも後継者養成が主題に掲げられたやうに、神社本庁では平成十九年から神社庁長が教誨師補助員を委嘱する新制度を導入して後継者養成に努めてゐるが、活動の特殊性をはじめ施設の定員などの事情や他教団との兼ね合ひなどもあり、その解決は必ずしも容易ではない。研究会で出席者からも要望があったやうに、まづは斯界内部において教誨師の存在やその活動について、さらなる周知を図っていく必要があらう。
 教誨師の後継者養成は単に教誨活動の充実だけでなく、斯界における教化活動の底力を高めるとともに、地域社会における神社・神職の役割の再確認などにも繋がると信じるものである。
令和六年十月二十一日

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