論説
十月定例評議員会 「大同団結」の精神を顧み
令和6年11月04日付
2面
神社本庁の令和六年十月定例評議員会が十月二十四日に開催された。
事前に用意された主な議題は、「令和五年五月定例評議員会における評議員提出決議案件等の処理結果」や「令和五年度神社本庁業務報告」といった前年度の活動をはじめ、その収入・支出に係る「令和五年度一般会計歳入歳出決算」、そして前年度決算を踏まへた「令和六年度一般会計歳入歳出補正予算案」であり、いづれも原案通り承認・可決されてゐる。ただ評議員の関心は、かねて係争中だった代表役員地位確認請求訴訟において、最高裁判所が十月二日付で芦原髙穂理事による上告を棄却したことの報告に集中した。
代表役員・総長の選任をめぐる問題については、すでに評議員会でも多くの時間を議論に費やし、さらに最高裁決定を経てもなほ結論が出てゐない。山積する内外の課題を前に、一刻も早い事態の収束を願ふものである。
○ 地位確認請求訴訟においては、総長選任条項である庁規第十二条第二項「総長は、役員会の議を経て、理事のうちから統理が指名する」の解釈として、役員会における「議決」の必要性の有無が争点となった。令和四年十二月の東京地方裁判所判決は、「本件条項は、総長の選任に関し、役員会が議決により次期総長を決定し、それに基づいて統理が当該次期総長を指名することが必要である旨を定めていると解するのが相当」として、芦原理事は総長の地位にないと判示。翌年六月の東京高等裁判所の判決もこれを支持し、今回の上告棄却により、その司法判断が確定した。
訴訟に関して評議員会では、争点である庁規の解釈に限らず、神社本庁のあり方などをめぐり多岐に亙る主張がなされてきたが、今後も神社本庁が宗教団体・宗教法人として、統理そして総長以下の役員のもと、本庁憲章・庁規に基づき運営されるべきことはいふまでもない。まづは大前提としてそのことを確認しておきたい。
○ 評議員会中、監査報告のために登壇した監事は発言のなかで、この三年間、神社本庁の最高議決機関である評議員会が、総長人事にともなふ庁規の解釈をめぐって混乱してゐることを憂慮。動議が出ればすぐ反対の動議が出されて議場は紛糾し、議長が苦慮する一方、議事等に関する不平・不満も呈される状況のなかで、事業・財務の運営に関する討議が少なかったとして遺憾の意を表明した。そして最後に、第六十三回神宮式年遷宮の完遂に向けて神社関係者が一刻も早く大同団結し、組織の正常化が図られることを願ふとの思ひを切々と述べてゐる。
確かに近年の評議員会において、総長選任をめぐる議論はひたすら平行線を辿り、事態収束に向けた歩み寄りや妥協案の提示なども見られない状況が続いてきた。来年は改選期にあたってゐるため、現任の評議員による評議員会は今回が最後である。今後は芦原理事による代表役員変更登記申請の問題について、臨時役員会で対処を検討する予定だといふ。斯界の大同団結、組織の正常化に向け、その議論の行方に注目したい。
○ 斯界においては、先に触れた監事の発言にもあったやうに「大同団結」といふ言葉が多用されてきた。例へば昭和五十五年、本庁憲章の施行に際しての徳川宗敬統理の告辞でも「現下の社会状勢は激動と混迷を極め、道義の頽廃はまた目に余るものがあり、心ある人々の神社界に寄せる期待はまことに大なるものがあります。これに応へる為にも、斯道の精神的な大同団結が必要であります」と述べられてゐる。
この「大同」とは「大体同じであること」であり、「食ひ違ひなく同じであること」を指す「一致」とは意味合ひに相違がある。「一致団結」ではなく「大同団結」としたところに、神社神道の歴史を踏まへた先人たちの深慮が感じられよう。祭神も創建の事情も異なる全国の神社が統一的な教義・経典を掲げることなく、意見の違ひを乗り越えながら、神祇信仰の護持といふ大目的のために結束していくことこそ、先人たちが示した大同団結の精神といへるのではなからうか。
それぞれ自らの意見に固執して内部に不和があっては、その大目的は達成できない。道義頽廃いよいよ著しいなか、心ある人々の神社界に寄せる期待に応へるためにも、いまこそ大同団結の道を摸索することが急務であらう。
令和六年十一月四日
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