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論説 七五三詣 少子化と地域社会の未来

令和6年11月11日付 2面

 長く暑かった夏が終はり、さらに暦の上ではすでに立冬を過ぎて、季節は一気に秋から冬へと移り変はりつつある。斯界においては、七五三詣の参拝者で境内が賑はふ時期を迎へた。
 三歳男女の髪置、五歳男児の袴着、七歳女児の帯解に因み、氏神神社に参拝して無事に節目の年齢を迎へられたことを奉告して感謝を捧げるとともに、改めて今後の健やかな成長を祈念する七五三詣。寒冷地などでは一カ月早める事例も見られるが、多くの地域では十一月十五日を中心に、前後の土曜日・日曜日がピークとなる。
 次代を担ふ子供たちの成長を寿ぐとともに、子供たちの元気な声が社頭に響き渡ることを慶ぶものである。


 令和二年以降は新型コロナウイルス感染症の蔓延の影響により、七五三詣も昇殿参拝者の人数制限などさまざまな対応を迫られてきた。昨年五月に感染症法上の位置付けが五類へと移行して以降、昨年、そして今年と、やうやく通常通りの状況に戻りつつある。
 社頭では、「コロナ中だったため祈祷は控へて写真撮影だけで済ませたので、年齢はズレるけど今年改めて参拝に来た」といふ家族連れの姿なども見られるといふ。その一方で、これまで神職が常駐しない兼務社では日を決めて七五三詣の祈祷受付をしてゐたが、新型感染症の影響で中止して以降、そのまま取止めになってゐるとの話も聞かれる。またインターネットを活用した祈祷の事前予約が定着し、準備や対応がスムーズになったといふ事例もあるやうだ。
 七五三詣をめぐっては、かねて参拝時期の分散化、貸衣装・写真撮影・会食などとの兼ね合ひの重視、神詣の欠如や境内マナー、私的行事としての意識の滲透など、さまざまな変化・課題が指摘されてきた。初詣とともに神社と氏子との接点としての貴重な機会である七五三詣。時代の変遷のなかでも子供の健やかな成長を望む親心は不変だらう。氏神神社での奉告・感謝・祈念といふ麗しい人生儀礼が今後も続いていくことを切に願ふものである。


 ただ、少子化が進む現状では七五三詣の参拝者減少は避けられない。
 令和五年の出生数は七十二万七千二百七十七人で、前年より四万三千四百八十二人減少してゐる。出生数の推移を見ると、終戦直後の昭和二十二年から二十四年までは第一次ベビーブームといはれ、とくにピークとされる昭和二十四年には二百六十九万六千六百三十八人を記録。しかしその後、昭和四十六年から四十九年までの第二次ベビーブームを経て、翌五十年以降は減少傾向が続き、現在は終戦直後のピーク時と比べて四分の一ほどの出生数に留まってゐる。
 政府においては、二〇三〇年代に入ると若年人口が急速に減少し、少子化はもはや歯止めのきかない状況になるため、この数年間が少子化傾向を反転させられるかどうかの「ラストチャンス」だとして各種施策を講じてゐる。しかし現状では、その成果がなかなか具体的な数字にまでは表れてをらず、このままでは経済・社会システムの維持等が困難になるやうな事態も懸念される。
 七五三詣の参拝者減少といふ身近な問題を契機に、改めて地域社会、そしてわが国の将来をめぐる課題について問題意識を共有する機会ともしたい。


 神社本庁では昨年、「氏子意識の涵養と精神の継承に向けて」を主題とする三カ年継続の教化実践目標を策定。その第一の項目として、「氏子意識を基本とする共同体意識の涵養とともに神社の公共性を顕現し、地域共同体との連携を深め、神社と地域の活性化に努める」ことを掲げてゐる。
 氏子意識を育むための接点の第一歩として、神社における最初の記憶ともなる七五三詣は重要だ。氏子の一員として氏神神社で七五三詣をおこなった子供たちが、例へばいづれ祭礼で巫女舞の奉仕をしたり、子供神輿を担いだりすることもあるだらう。長じて成人の奉告、神前での結婚式、そしてわが子を連れての初宮詣を経て、二世代・三世代に亙って七五三詣に訪れ、さらに氏子青年、総代・役員として活躍するやうなことを期待したい。
 少子化をはじめさまざまな課題が山積するなか、さうした氏神神社と氏子との繋がりこそが、これからの地域共同体、そしてわが国を支へる力となることを信じるものである。
令和六年十一月十一日

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