杜に想ふ
気晴らし 八代 司
令和6年11月18日付
5面
本稿を書くためにパソコンで「お神酒上がらぬ神は無し」と打たうとしてキーボードを叩いたら、「神は無し」と文字変換をするつもりが、「神話」と変換されて、一人苦笑した。確かに、記紀神話の「高志のヤマタノヲロチ」も「八塩折之酒」があってこそ成立するストーリー。
能登を舞台とした演歌で大ヒットした坂本冬美さんの名曲『能登はいらんかいね』には、「寝酒三合」や「冷やで五合 ぬくめて五合 しめて一升 酒ありゃ楽し」と歌はれる。能登の民はそこまでの飲兵衛ではないし、酒好きの私でも、さすがにそこまでの量は飲まない。しかし、若い時には祭りで飲みすぎて失敗したことがあるものの、翌日のことや余所様へ絶対に迷惑を掛けないとの確証があるのならば、この歳でどこまで飲めるかを試してみたい気もするのは、やはり酒飲みゆゑか。
さて、これまでも本稿にたびたび登場する郷土の隣町生まれの友人とは、十七年ごとに彼の産土神社で神仏習合時代の本地仏の御開帳に際しておこなはれる奉納地芝居の上演や、低迷してゐた祭礼の獅子舞の再活性化をともに目論んできた仲。彼の家も元日の能登半島地震で被災し、「あづま造り」と呼ばれる能登地方独得の黒瓦に切妻入り屋根で、江戸時代に造られた立派な生家も土蔵や納屋ともどもに公費解体することとなった。発災以来、勤め先の寛大な処遇で一カ月半もの休職をいただき、自身も被災者でありながらともに避難所で生活する人々のサポートを先頭に立って牽引できたのは、彼の人望によるもの。
友人が勤める建設会社の会長は私も仕事の関係で偶然にも存じ上げてをり、春先にたまたまお話しする機会があった際に「今朝の全国ニュースでもウチの会社のヘルメットを被って酒を飲んでゐる姿が映ってゐたが、あいつらしい。こんな時は酒でも飲んで、気晴らしも必要だ!」と豪快に笑顔で話され、その度量の広さにはただただ感服した。
話に出た全国ニュースとは「避難所居酒屋」。避難所となった体育館を本拠地としてゐたプロバスケットボールチームの社長の発案により生まれた、その名も居酒屋「語ろう亭」は、消灯前の一時間に限って会議室を転用したスペースで、避難所生活での情報共有や相談の場所となった、まさに妙案だった。
友人が隣県である富山県の職場に復帰後、大工などの建築関係者が不足する能登の窮状を話したところ、二週間後には石川県七尾市内に支店が開かれることとなった。しかも彼が支店長になったと聞き、発災以来、初めてうれし涙が流れた。
このたび、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の委員会に、日本酒や本格焼酎、泡盛などの「伝統的酒造り」を無形文化遺産として登録するやう勧告があった。冠婚葬祭はもとより、さまざまな場面で酒は用ゐられてきた。
秋の夜長、懐旧と能登の未来の話を肴に、久々に友と酒を酌み交はして互ひの気晴らしにしたいと思ふ。
(まちづくりアドバイザー)
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