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杜に思ふ 感覚と反復 涼恵

令和6年12月09日付 5面

 先日、久しぶりにギターを手に取ってみたところ、指先の記憶は時に気まぐれで、数年前には弾けてゐたはずのコードが思ひ出せず、頼りない音を奏でた。一方で、指が勝手に動いて自然と奏でられるフレーズもあった。
 忘れてしまったものと、覚えてゐたもの。その違ひを考へたとき、感覚と結びついた記憶の強さに気付いた。稽古する過程で、心や体が「これが好き」と感じた瞬間の記憶は、不思議と消えずに残ってゐた。
 反復と継続はどこか心地良い。
 筆者にとって、そんな体験を何より思ひ出すのは國學院大學での神職養成講習会。約一カ月の講習会の間、毎日、仲間とともに朝な夕な祈る時間はとても心地良かった。
 祭式の授業では、神様への敬ひの姿勢が一つ一つの動作に投影されてをり、足の進め方、揖の角度、手の位置、目線の高さなど、一見単調に見えても、実は洗煉されてゐることを知る。祝詞の内容を理解するために何度も繰り返し奏上し、書き記した。感覚が連動すると身体と脳がちゃんと覚えてくれる。
 発声練習も然り。面倒くさがらずに、毎日お稽古してゐると、どの音でどの部分の身体が震へたり、力を入れたりするのかが見えてくる。記憶の通り道。やるたびに道筋がはっきりしてゆく。それは一瞬の感覚を超え、心と体に馴染んでゆく。
 そして反復と継続の先には、清々しい感覚が待ってゐた。何度も繰り返すことで心に穏やかな居場所が生まれる。反復は慣れとはまた違ひ、繰り返すごとに新たな発見があるもの。この爽やかで潔い感覚は一生ものの記憶として心身に刻まれてゐる。
 かうした記憶には、脳の働きが関はってゐるといふ。脳の深部に存する松果体。感覚の中継点である視床に挟まれた小さな器官は、メラトニンを分泌し、体温や自律神経など概日リズムを整へる役割を担ふといふ。松果体は、私たちの心身の調和に重要な役割を果たしてゐるやうだ。
 しかし現代の生活環境では、この松果体が電磁波やストレスの影響で石灰化し、機能が低下してしまふといふ研究もある。メラトニン減少は記憶を曇らせ、心の地図をぼやけさせてしまふ。
 神社にお参りされると、その静けさと清廉さにどこか安心を覚えると仰る方が多い。日常の喧騒や情報から離れ、自然と調和された環境に整へられる心と体があるのだらう。感覚が織りなす身体が覚えた記憶の糸は、松果体の奥深くで紡がれてゆく。参拝者にとって穏やかな祈りの時間や清浄な空気は、失はれた感覚を呼び醒ましてくれるかもしれない。
 忙しさに追はれるなかで、忘れた記憶を許したり、取り戻したりしながら、丁寧に重ねてゆく生活のなかに、きっと本当に大切なものが残ってゆくのだらう。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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