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杜に想ふ 守護神 神崎宣武

令和6年12月16日付 5面

 それぞれの職業によっての守護神がある。「職能神」、とでもいはうか。
 たとへば、新米が収穫されたこれから酒造がはじまる(もっとも、近年は通年醸造も一般化した)。そこでは、松尾明神を祀る。近世になってから、伏見(京都府)や灘(兵庫県)で清酒醸造がはじまったが、それ以来、松尾明神への信仰が広がったのである。
 それ以前、祭礼にあはせて一夜酒(あまざけ)や濁酒(どぶろく)を造ってゐた時代には、どうだったか。各地でさまざま、といふしかないが、たとへば以下のやうな歌が遺ってゐる。
この御酒は わが御酒ならず 大和なす大物主の醸し神酒 いくひさいくひさ
 これは、崇神天皇(第十代)の時代に三輪神社の酒掌に任ぜられた活日が献上酒を造るときに詠じた、と伝はる。三輪神社(大神神社)の主祭神は、大物主神。すなはち大国主神である。
 三輪の杉ばやし、といふ言葉も伝はる。新酒ができたときに表に吊るす。霊験あらたかな杉(三輪の神木)の玉(魂)なのである。
 なほ、『延喜式』(巻四十)には、酒造に関係しての神としては、酒弥豆男神と酒弥豆女神。その他に、竈神(四座)と大邑刀自・小邑刀自・次邑刀自が加はる。邑刀自とは、酒の仕込み甕を神格化したものである。これをもっても、酒造りは、神聖な術であったことがよくわかる。
 酒造りにかぎらず、かつてのモノ造りは、さうであった。
 たとへば、鍛冶に金属加工。そこでは、金山彦の神を祀る事例が多かった。あはせて、火の神を祀る事例が多かった。また、陶磁器を焼く窯では、火の神を祀る事例が多かった。例外なくさうであった、といってもよい。
 モノ造り以外では、芸能者の神信仰がある。とくに旅まはりの芸能者の神信仰が篤かった。たとへば、大道芸の漫才師がさうだった。それを千秋万歳といって、元は正月の門付け祈祷であった。江戸の町には、尾張から漫才師がやってきた。陰陽道の土御門家からの免許状を携へてをり、それが信仰の対象ともなった、といふ。
 旅まはりの諸業では、出自を格付ける必然があった。それで、うさんくさく蔑まれないやうにすることが大事であった。香具師とか的屋といはれた旅商ひの商人たちは、神農を信仰した。神農とは、中国から伝来したといふ薬神で、それをもってヤシの言語は薬師ともいはれる。そこでの真偽はともかくとして、旅商ひをもって恙無く過ごすには、かうした守護神が必要だったのである。
 総じて、職能神としよう。とかく、見落とされがちである。歴史学でも民俗学でも、そして宗教史でも、ほとんど体系的にとりあげられたことがない。すでに事例も乏しくなってはゐるが、あらためて見直しておきたいものである。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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