杜に想ふ
おしまひの年賀状 植戸万典
令和7年01月13日付
4面
あけましておめでたうございます。新玉の春にあたり、本年が皆様にとって幸多からんことを祈念いたします。
かうした通りいっぺんの賀詞なんぞ無意味だからやめてしまへといふ虚礼廃止論は古くからある。当世のやうにとかく煩多な社会となると、たしかに首肯したい面もあることは否めない。最近も「年賀状じまひ」が話題にされがちだ。わざわざ宣言することなのかはやや疑問ではあるが。
年始の挨拶を文書で交はすことは古代から見え、現代は日本郵便の発行するお年玉付き年賀はがきが今時分の風物詩だらう。抽籤を伴ふこの年賀状は、「お年玉付郵便葉書等に関する法律」で定まるもの。正月の雰囲気に浮かれて考へたこともなかったが、なるほどお年玉くじが刑法第百八十七条の富くじにはならないのにはそんな根拠があったのか。
お年玉付郵便葉書は昭和二十四年十一月に法制化され、七十五年が経つ。当時は戦後の混乱で知人の安否も不明な国民も多い世相のなか、年賀状によって互ひの消息を伝へるとともに、そこにくじをつけ、さらに寄附金も加へれば夢もあるし社会福祉のためにもなるだらう、といふ京都在住の一民間人の発案を郵政省が採用したものださうだ。
今では通信手段も多様化し、年賀状でなくとも消息は知られるが、とは云へ特段の用事でもなければ旧友や恩師に連絡を取ることも稀だ。内容もないのに旧年中の感謝と新年の言祝ぎを型に合はせて書くだけの毎年恒例の習慣は、子供時分の手書きから家庭用の簡易印刷機、そしてパソコンへ、しだいと手段も変はってゆき、その都度にデザインをあれやこれやと思案したのも、反対に相手の人柄が窺へる絵や文を受け取ったのも、一月中旬に当籤番号を確認したのも、それなりに趣深いことだった。戦後の事情とは違って無駄だと云へば無駄なことだらうが、それまで虚礼と割り切ってしまふのも心に余裕がない。
しかしこれが義務だとすれば、いろいろと面倒なこともある。その面倒から引退するにしても、体裁を気にする関係性ではどちらが先にそれを決断するかチキンレースになってゐる向きもあるのではないか。さらに面倒を感じさせるのは、元日に届くことにこだはる結果として投函が十二月二十五日までになることだらう。新年挨拶のはずなのに実際には師走の最中に準備してクリスマスまでに万事終へてゐなければならない。郵便局の負担を思へば異存はないが、仕事納めもこれからの時期に書くものでは、それはもはや年末挨拶ではないだらうか。
かく云ふ本稿も年のはじめ早々には編輯へ回ってゐなければならず、念のため旧臘中に仕上げた。つまり、あけてもめでたくもない年のしまひに執筆してゐる。未来の皆様には良いお年を迎へられたでせうか。令和六年の末から令和七年へ、挨拶申し上げます。
(ライター・史学徒)
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