杜に想ふ
天気からの便り 涼恵
令和7年01月20日付
4面
「天気は言葉」だと、さう感じる場面に今まで何度も遭遇したことがある。
先日、能登へ三日間慰問公演にゆかせていただいた時のこと。冬の能登の天気は厳しいと聞いてゐた。日中でも雨や雪が多く薄曇り、晴れの日は稀で、天気予報を確認してみても一週間ずっと曇りと雨のマークだった。
小松空港に到着した時は、雨が上がったばかりだったのか、地面が濡れてゐた。車での移動で、窓から外の景色に目をやると、大きな虹を見つけた。初めはぼんやりと浮かび上がる淡い色が、みるみるうちにはっきりと七色に彩られてゆく。なんと美しかったこと……。
神話のなかに重要な節目で出てくる天浮橋が頭によぎった。広い空に渡って天と地を結ぶ橋とは、もしかしたらこんな風景だったのかもしれない。さう感じてしまふほど、雨上がりに浮かぶ虹の存在は神々しかった。
令和の御大典で、即位礼正殿の儀のをり、皇居一帯に現れた虹の記憶が重なる。畏れ多くも偶然に、天皇・皇后両陛下が輪島市にお見舞ひに来られる日と同日に輪島での公演が予定されてゐた。
天皇陛下の訪れを喜ぶかのやうに、その日の輪島のお天気は、澄み切った青空が広がってをり、地元の方々も「この天気は何ぢゃろ」と驚いてゐた。天気と人との間には深い関係性があるやうに思へてならない。陛下がお帰りになったであらう頃に雨が降り出した。その日の夜には月も出てをり、生まれて初めて雨のなかに浮かぶ月を見た。
七尾市、能登町、輪島市、羽咋市、志賀町と合計六公演を巡り、それぞれの場所でここでは書き切れない有意義な御縁をいただいた。
晴れ・曇り・雨・霰・雪・虹……三日間であらゆる気象に恵まれた。神様は現象となって現れるものではないだらうか。天気はまるで言葉のやうに我々に何かを伝へてゐて、日々の暮らしをどう過ごすかによって、その積み重ねが道となる。太陽をお天道様と云ふ理由が理窟なく入ってくる。きっとすべては繋がってゆくのだらう。
被災されても今の環境のなかで精一杯生き抜く能登の人々の素朴さや謙虚さを知るたびに、人間の本質を教はる。「あへのこと」といふ神事が今なほ残ってゐるのは、神様と人との対話が繰り返されてきたからこそ。その日のお天気や季節とさりげなく会話をする能登の人々の生き方が反映されてゐる。
日本人は自然とともに生きてきた民族。地形的にも災害が発生しやすい国だからこそ、自然への畏怖と敬意が生きる姿勢に表れてゐる。現代人が忘れてはゆけない大切な人としての在り方が残ってゐた。
生き抜く智恵を知ってゐる人たちは必ずこの苦難を乗り越えられると信じてゐる。
年が明け、今年もまた自然と人が織り成す道は続いてゆく。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)
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