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論説 「成人の日」を迎へ 次代を担ふ若者への期待

令和7年01月27日付 2面

 今年も「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」日とされてゐる国民の祝日「成人の日」を迎へた。
 かつては、式典等の進行を妨げるなどする新成人の行為が例年のやうに大きく報じられる時期もあった。また数年前には振袖のレンタル業者が「成人の日」を前に突如営業を停止するやうな事件も発生してゐる。さらに近年は疫禍の影響により式典等の中止・延期を余儀なくされる状況も続いた。
 今年は大きな混乱などもなく、「成人の日」の式典等が各地で無事に執りおこなはれたことを慶びたい。


 「成人の日」は昭和二十三年の「国民の祝日に関する法律」の制定にともなひ新たに設けられた。内閣府によれば、「戦後間もない厳しい状況の下で、当時の立法関係者が、国の将来を担う子供や若者に大きな期待をかけていたことの現れ」であり、また当時の報告書においては、古くから「元服」や「裳着」などの習はしがあったことに触れつつ、「青年男女が国家、社会のため、進んでは世界人類のためにつくそうとする自覚を持たせるところにねらいがある」と説明されてゐたといふ。
 当初は一月十五日に固定されてゐたが、平成十年の祝日法改正により同十二年から一月第二月曜日に変更された。このいはゆる「ハッピー・マンデー制度」については、祝日本来の意義を見失はせかねないとして本紙でも問題視してきた。ただ「成人の日」に関しては、連休化により都市部に進学した学生が故郷での式典等に参列し易くなるといった面もあるのかも知れない。一方でさうした帰省の便などを考慮し、三連休の中日にあたる「成人の日」前日に式典等を実施してゐる事例も見られ、また、そもそも「成人の日」ではなく正月休みや黄金週間・夏期休暇などに合はせて式典等をおこなふ自治体も多い。
 もちろん参加者の便宜をはかることも重要だが、当初の趣旨をはじめ「国民の祝日」としてのあり方などについても常に留意したいものである。


 成人をめぐっては、若者の積極的な社会参加を促すことなどを趣旨に、平成三十年に成年年齢を二十歳から十八歳に引き下げることなどを含む「民法の一部を改正する法律」が成立し、令和四年四月から施行されてゐる。
 宮内庁では昨年十八歳となられた悠仁親王殿下の成年式について、これまで多くの場合は成年を迎へられた日に執りおこなはれてきたが、進学に向けて勉学に励まれる大切な時期にあたることなどから、高校御卒業(令和七年三月)以降の適切な時期とすることを示してゐる。また自治体でも式典等の対象者を十八歳に引き下げる動きが一部で見られたものの、「改正当初からほぼ全ての自治体が対象を二十歳で据え置き、十八歳としていた数少ない自治体でも二十歳に戻す動きが目立つ」(「産経新聞」一月十四日付)といふ。年齢引き下げについては「受験期に重なる」「旧友との再会といふ意味合ひが失はれる」などとの反対意見も聞かれ、なかなか難しい事情もあるやうだ。
 また総務省統計局では例年、「成人の日」に先立ち「新成人の人口」を発表してゐるが、令和四年までは一月一日時点での二十歳の人口を、民法改正後の同五年は十八歳・十九歳・二十歳のそれぞれを、同六年以降は十八歳の人口を対象としてゐる。その発表によれば、今年の新成人は百九万人。平成六年に二百七万人を記録した後は減少傾向が続いてをり、この二十年の間にほぼ半減したことになる。かうした数字からも、その背景にある少子化がいかに深刻なのかが理解できよう。


 先に触れたやうに「成人の日」は「元服」「裳着」など、所属する集団や社会において正式な構成員として承認されるための通過儀礼に由来する。とくに戦後復興にあたり、将来を担ふ若者たちが国家・社会さらには世界人類のために進んで尽力することへの期待をこめて定められたのである。
 各地の神社においては「成人の日」にあたって「成人祭」が斎行されてきた。神社本庁の「神社活動に関する全国統計」によれば、十年ほど前でも千社程度で「成人祭」が斎行されてゐたやうだ。地域社会の一員として成人したことを氏神神社に奉告する「成人祭」。その斎行を改めて勧奨するやうな取組みも必要なのではなからうか。
令和七年一月二十七日

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