杜に想ふ
戦後八十年 山谷えり子
令和7年02月03日付
5面
節分、立春、春一番、木の芽が動き、春の訪れを告げてゐる。
今年は昭和百年、戦後八十年の節目に当たる。二万二千六百六十日といふ最長の元号の時代を振り返り、次の百年の良き未来を作るため、現在政府は内閣官房に専門の部署を設置し、記念事業準備を進めてゐる。超党派の議員連盟も設立された。
昭和の元号は四書五経の一つ「書経」の「百姓昭明にして、萬邦を協和す」から定められた。まさに協和の願ひとともにの幕開けであった。しかし、その後欧米列強による経済のブロック化が進み日本は孤立。つひに大戦、敗戦にいたる。その後、不屈の精神で高度経済成長期を迎へるが、バブル期、就職氷河期などがあり、今日にいたっては国内外ともに価値観の混乱で迷走中とも見える。そんななかで、ここはひとつ深呼吸し、昭和百年の歩みを振り返り、歴史と国がらを見つめ直すことは大いに意義があると思ふ。
平成二十七年、安倍総理が戦後七十年首相談話を出す際、私は内閣の一員であった。安倍総理は近現代史の総括に取り組む決意をされ、年頭会見で「先の大戦への反省、そして戦後の平和国家としての歩み、そして今後、日本としてアジア太平洋地域や世界のために、さらにどのやうな貢献を果たしていくのか。世界に発信できるやうなものを、叡智を結集して考へ、新たな談話に書き込んでいく」と語られた。その後、実に幅広い有識者による「二十一世紀構想懇談会」で議論を重ねて談話は練りに練られていった。
発表前のある日、私は談話の草稿について感想を聞かせてほしいと総理に呼ばれた。総理執務室での総理の力のこもった様子に、私も緊張して草稿文を手にとったことを昨日のことのやうに思ひ出す。「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました」の始まりの一文は、近現代史の時間軸を伸ばし広げる姿勢に改めて衝撃を感じた。続いて敗戦にいたる苦難の日々が記され、「尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点」とつながれ、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と強調したあと、世界の平和と繁栄に貢献する決意とともに「終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります」と結ばれてゐた。読み終へた時、人々の希望と自信をつなぐ尊い壮大な談話だといふ思ひが胸に広がった。
今年は厳しい局面が予想されるが、だからこそ眼を開き、振り返り、次の百年に向けて歩いていかねばならない。少数与党の状況下で浅薄な戦後八十年談話を出すくらゐなら、むしろそれは不要であらう。
(参議院議員、神道政治連盟国会議員懇談会副幹事長)
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