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杜に想ふ 地域学 神崎宣武

令和7年02月17日付 5面

 愛媛大学(松山市)を訪ねたとき、古い友人でもある村上恭通さん(アジア古代産業考古学研究センター長)に誘はれた。「人口減少社会と文化遺産の未来」といふテーマで調査や発表をしてきたが、そのあらましを聞いてほしい、といふことだった。
 会議室には、井口梓さん(地域資源マネジメント学科教授)と渡邉敬逸さん(環境デザイン学科准教授)がお待ちになってゐた。
 このテーマは、過疎が進む日本の農山村に共通することだ。より多くの人が協力して取り組まなくてはならないだらう。ここでは、お三方の共同研究といふかたちで進められてきた、といふ。それぞれが資料を用意されてをり、それをもとに御説明があった。ここでは、井口梓さんの取組みを御紹介しよう。
 フィールド(調査地)は、内子町(喜多郡)の臼杵自治会。野外授業の一環として学生たちと初めて足を運んだのが、平成二十五年(二〇一三)から二十九年にかけての頃、とか。そこは、限界集落ではあるが、まだ消滅期ではなかった。
 そこでは、すでに神社の合祀が進められてゐた。昭和三十年(一九五五)代に倉成集落が消滅寸前となり、倉成神社を倉谷神社に合祀した。その倉谷神社も維持がむつかしくなり、平成十三年(二〇〇一)には寄座神社(郷社・臼杵三島神社管理)に合祀したのである。
 しかし、その郷社の祭礼もさびれる傾向にあった。秋祭りでのおねりや獅子舞も中断して久しかった。そこで、老人会から「十年後もただ歳をとるだけなら、最後にみんなで楽しかった祭りをやらう」、といふ声があがった、といふ。
 ちゃうどその頃、愛媛大学でのフィールドワークの計画が重なったのだ。祭りの再現に向けての自治会との共同作業をおこなふことになった。
 そこに住んでゐる人たちの体験を学生たちが聞きとるのだが、その場でハトロン紙に書きこんでいく作業を重んじた。さうすると、話した人たちが間違ひを指摘しやすくもなり、さらに話が広がって進むことにもなる。その書きこんだハトロン紙を分類して壁に貼りつける。すると、臼杵地域の歴史や生業や行事などが明らかになり、いはゆる「地域学」が共有されてくるのだ。
 それで、祭礼もできる範囲で再生された。秋祭りのその日は、地元の小・中学生が全員参加、外に出てゐる人たち何人もが帰ってきて参加することになった、といふ。
 しかし、と井口梓さんは、言ふ。
 「それ以後も、臼杵自治会との御縁がずっと続き、私たちの考へるところも変はりません。でも、“集落の人口減少と向かひ合ふ地域学”の実践はむつかしいこと、と思ひます」。
 私は、さう言へるのが立派な成果ではないか、と感想を述べようとも思ったが、黙ったままで頷いた。一人で聞くには、何とも贅沢な研究発表であった。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮)

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