杜に想ふ
春一番 八代 司
令和7年02月24日付
4面
今年の正月も天気が良かったため、好天だった昨年の元日の地震発生時がなほさら思ひ起こされた。「正月気分に水を差す」ことは遠慮しつつも、被災地のことを思へば交はす年賀の挨拶もそれぞれで、さまざまな思ひを胸にしての年明けとなった。
昨年一年間は、母が避難させてもらった金沢の姉宅と実家への往復と片付けに終始した。近頃は隣県から能登へ帰省する際、道路で擦れ違ふのは側面に「産業廃棄物収集運搬車」と書かれた大きなコンテナを積んだ県外ナンバーのダンプカーばかり。解体された家々の柱を山積みし、何台も行き交ふのを見るにつけては、胸が痛くなる。
昔は賑はって軒を連ねてゐた田舎町の商店街は、帰省ごとに解体が進んでをり、近所を見渡せばまさに歯抜けの状態。隣家も更地となって寒風が俄然とわが家に吹き付けるやうになり、一層寂しさを感じさせる。
わが家の土蔵も基礎からずれて、柱が数本折れた全壊判定となった。応急処置的に施された斜交ひの添へ木や柱はあるものの、余震のたび隣家への傾倒が気になってゐた日夜。全国からのボランティアによる力添へのお蔭で、代々の什器家財道具一切を運び出していただいたのはありがたかった。
十月末、隣家の解体作業による振動が危惧されることから、もはや空になった土蔵には新たに何本もの鉄骨補強がされた。いよいよ土蔵の解体作業が始まる前、酒と塩を四隅と中央に撒き、蔵の神様や蔵を建てた曽祖父、そして受け継いできた先祖に感謝するとともに解体工事の安全を祈った。
待ちに待った解体作業も、重機で一気に解体するのは危険とのことから、部材一つ一つを手壊しで進める解体に。現場作業員は海外の方ばかりで、聞けばトルコやインドネシアの出身だと片言の日本語で答へてくれた。昨年の暮れにやうやく終了し、事故や怪我もなく、安堵の気持ちで新年を迎へることができた。
さて、旧暦で一年の始まりとされる立春に北陸地方で「春一番」が観測された。「春一番」は、冬から春への移行期に初めて吹く暖かい南寄りの強い風。「立春から春分の間」といふ条件があり、今年は立春が例年より一日早い二月三日だったことからも、観測史上最も早い記録を更新した。
暖かな風が復興への追ひ風の験となることを期待したのだが、翌日からは大寒波で大雪とも併せて報じられ、「何だか訳が分からない」と母と顔を見合はせて苦笑した。
五穀豊穣とすべての産業の繁栄が祈られた二月十七日の祈年祭。翌十八日は、寒さが緩み、降る雪が雨に変はる時期を意味し、農作業の準備を始める目安とされる二十四節気「雨水」。ここにきて、またもや十年ぶりの大雪との予報が出されてゐる。雪は豊年の瑞とも言はれるが、除雪も儘ならない被災地を想って春の訪れを願ってゐる。
(まちづくりアドバイサー)
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