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杜に想ふ 生涯を歩む光 山谷えり子

令和7年03月03日付 4面

 「東より満ち来る光あるらしく心ほのぼのと若木に寄れり」(昭和四十五年)
 上皇后陛下美智子さまが、歌人としてこのほど発行された歌集「ゆふすげ」(岩波書店)に収録された御歌である。
 未発表の四百六十六首が収録されてゐる歌集を開き、時の記憶の道をたどってゐる。
 昭和三十四年、皇太子殿下御成婚の時、地方都市の新聞記者だった父はテレビを買ひ求め、その日は御成婚の様子を見ようと多くの近所の皆さんがわが家に集まってきてゐた。パレードは美しく、わが家の居間も喜びの声が交はされてゐたのだが、そのうち、誰からともなく両殿下のお姿に、国のために尽くされる覚悟の強さを感じたのだらう。「ありがたいこと……」と厳かな雰囲気に包まれていったのである。当時小学三年生の私にはその変化が強い記憶となって残ってゐる。それは悠久の歴史とともにある日本の国に初めて包まれた体験であったといっていいのかもしれない。そしてその空気は体の奥深くに沈澱し、生涯を歩む光となってきたと感じてゐる。
 和歌の国日本に生まれたことは幸せなことである。御歌は、折々私を励まし続けてくれてきた。たとへば母となり育児に苦戦した頃は、昭和三十五年の徳仁親王殿下御誕生のときに詠まれた「あづかれる宝にも似てあるときは吾子ながらかひな畏れつつ抱く」の御歌を唱へては、母であることの意味をかみしめた。将来天皇となられる吾子を抱かれる妃殿下とは身分が違ふが、一人の母として、実に子は天から授かった宝であることよと思はれたのである。そして父母への思ひを詠んだ御歌も悲しく美しい。
「関東平野の広きを過り歩み来るあれはあれは亡き父ではないか」(平成二十三年)、「彼岸花咲ける間の道をゆく行き極まれば母に会ふらし」(平成八年)
親の恩、深い縁を思はずにはゐられない。
 日本の国がらについては、
「神まつる昔の手ぶり守らむと旬祭に発たす君をかしこむ」(平成二年)、「わが国の歩み真幸くあれかしと祈らす君が旬祭の朝」(平成九年)、「遠白き神代の時に入るごとく伊勢参道を君とゆきし日」(平成十一年)
などの御歌を通し、日本の深層に触れさせていただいた。
 さて、今年は戦後八十年である。鎮魂の御歌として
「いまはとて島果ての崖踏みけりしをみなの足裏思へばかなし」(平成十七年・サイパンにて)、「海陸のいづへを知らず姿なきあまたの御霊国護るらむ」(平成八年・終戦記念日)、「心做しか春めきしと思ふこの朝靖国神社に梅の咲きしと」(平成二十九年)
などが詠まれてゐる。日本の日本たるゆゑん、祈り、自然と子育ての豊かさ、国恩、父母の恩、平和、慰霊……、あまりにも多くの恵みと悲しみを教へていただいてゐることに震へる思ひである。(参議院議員、神道政治連盟国会議員懇談会副幹事長)

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