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杜に想ふ 家紋 八代 司

令和7年04月21日付 5面

 近頃、あらためて「家紋」を意識するやうになった。大地に根差し、繁茂・蕃殖力が強い植物が家紋として用ゐられることが多いと聞いたことがあるが、わが家の定紋は「丸に花菱」。
 若い頃、産土神社の祭礼で紋付羽織袴を着る大切なお役目を奉仕する機会があったが、祭りの美酒に酔っ払ひ、曽祖父の羽織を着たまま神輿を担いで肩の部分を破ったことがあった。酔ひが醒めたころ、母は苦笑しながら、すぐに繕ってくれてゐて、「紋付は脱いだら下には置いておかないもの」と教へ諭されたのも思ひ出である。
 さて、能登半島地震で大破して、全壊認定を受けたわが家の土蔵。隣家へと傾いた姿は見た目にもなかに入るのが恐ろしく、入口の土戸が崩れて倒れたことから先祖代々の什器一切の取り出しは諦めてゐた。「可能ならば」との前置きをして、「蔵に入れたなら、何を取り出したいか」と母に訊くと、「嫁入り道具で持たせてもらった重箱と、御坊さんが敷く金襴の座布団だけでよい」と即答された。その重箱は輪島塗の黒い五段重で、母の実家の家紋「丸に蔦」が沈金の技法であしらはれ、収める外箱も朱漆塗りで手提げ金具が付けられたもの。朧気ながらも、遙か三十年以上前に内祝ひのお返しにと赤飯を詰めて伯母宅へ持参した折に使った記憶があり、その後、実用した記憶はとくにない。それでも、ボランティアの方々の協力もあって、やうやく土蔵に入ることができ、件の重箱を真っ先に取り出して母に手渡した時は実に嬉しさうな顔をしてゐた。
 その後、土蔵の倒壊を防ぐための筋交ひとボランティアの皆様方のお蔭で、諦めてゐた道具類の一切を取り出すことができた。
 古い桐箪笥からは定紋の裃とは別に、替紋「丸に唐花」の肩衣や、曽祖母や祖母が着てきた色鮮やかな花嫁衣装もそれぞれ出てきて驚いた。さらに驚いたことには、祖母の実家の家紋もたまたま「丸に蔦」なのだが、花嫁衣裳にはなぜか「雪輪に蔦」の紋が染め抜かれてをり、親戚たちにも訊いたが、往時のことで理由はまったく不明。おそらく、祖母の美雪が大正三年の生まれで、当時としてはかなりハイカラな名前であったことから、高祖父母から嫁ぐ娘へと名前に因んだシャレた贐だったのではないだらうかと思ってゐる。
 その時にわが家の座敷でおこなはれた祝言でも使はれたであらう輪島塗の御膳一式も震災で置き場がなくなった。母曰く、「私が嫁ぐ前からだから、五十年以上一回も使ったことがない品々」なのだが、日頃お世話になってゐる神社の宮司さんに縁あって引き取っていただいたことはありがたかった。
 後日、宮司さんより御膳や椀をすべて洗って拭いたので、仕舞ふ前に見にきたらと電話をいただいた。綺麗に洗はれて艶やかな輝きを戻した黒塗り椀の蓋には、緑の色漆で早蕨が描かれてゐたのを初めて目にした。早蕨の絵に事寄せられた先祖からのメッセージを感じる春となった。
(まちづくりアドバイザー)

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