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杜に想ふ 信仰の対象 神崎宣武

令和7年04月28日付 4面

 前会長(故人)との浅からぬ御縁を繋いで龍短歌会(本部は岡山市)の歌集『龍』(月刊)が送られてくる。私は、和歌には疎いが、できるだけ全ページに目を通すことにしてゐる。
 会員に高齢の女性が多いせゐだらうか、身体の変化や日常の信仰を詠んだ和歌が多い。
 折々のテーマが設定され、フィールドワークを試みた会員がその成果を報告する特集ページもある。私などには、興味深いところだ。
 今年の一月号~三月号では、「特集 岡山地名研究会 研究発表」と題して“岡山の郷土富士”をとりあげてゐる。二十一人の会員がそれぞれに現地を訪ね、二十七件の小富士の状況を報告してゐる。密度の濃い調査報告である。
 そして、その文末にそれぞれが短歌を添へてゐる。
 いつとはなく誰とはなしに言い継ぎて「おらが富士」なる横手山はも(倉田節子)
 これを全国に広げてみると、おそらく数へきれないほどの○○富士が存在するだらう。それらのほとんどが、その山容を讚へるとともに諸霊が宿るとする信仰を伝へてきた。そして、その象徴が駿州の富士山(三七七六㍍)であることも、いふをまたないことである。
 その富士山は、平成二十五年(二〇一三)に、ユネスコの世界遺産に登録された。それは、無形文化遺産としての認定であった。つまり、端的にいふならば、登山の対象ではなく信仰の対象としての認定。近代国家のなかでは日本だけが伝へてきたアニミズムを代表する自然遺産としての認定・登録であったのだ。
 折に触れて本欄でも記してきたが、改めていひたい。私ども日本人の間でその認知がどれほど定着してゐるかだ。「登拝」といふ言葉がほとんどつかはれないのが現状ではあるまいか。また、マスコミがにぎにぎしくとりあげる場所以外では富士山の眺望に目を凝らす人も少ないのではあるまいか。
 新幹線の車中でも、最近は、富士山の眺望を案内するアナウンスがなくなった。私は、長年東京と郷里の往復で年間二十往復ぐらゐは新幹線を利用してゐる。その間の大きな変化として、最近では日差しがなくても、ブラインドを下ろしてゐる人が多いことがあげられる。そして、パソコンやスマホを操作してゐる人が多いのだ。それが、悪いといふのではないが、それとともに車窓から富士山を眺望する人、車中で読書をする人が激減したのである。
 ついでながらいふと、「右富士」を知る人も少ないだらう。東海道を上るときに、安倍川にかかる手前で右側に富士山が望めるのだ。徒歩で旅した時代は長く楽しめただらうが、新幹線だとほんの一瞬のことである。それも年に何度かだけ。それでも私は、新幹線の上りでは決まって右側の席を予約するのである。
 富士山に登ることなど夢の夢「岡南富士」さえ見上げるばかり(中村智子)
 それでもよろしいのである。遠くからでも霊山を拝する、その文化伝承が尊いのである。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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