論説
伊勢の伝統と国民総奉賛 御木曳初式
令和8年04月27日付
2面
今号掲載の通り、第六十三回神宮式年遷宮の諸祭・諸行事の一つである御木曳初式が四月十二日に皇大神宮(内宮)で、翌十三日に豊受大神宮(外宮)でそれぞれ執りおこなはれた。
この御木曳初式は、御杣山から伐り出された御用材を内外両宮に曳き入れる伝統行事で、揃ひの法被を着た伊勢の住民(旧神領民)が木遣り唄も勇ましく奉仕する。両正宮や別宮の大切な御料材に充てられる「役木」を神域に曳き込むため「役木曳」とも呼ばれてきた。
引き続き、御用材を両宮域内に運び入れるお木曳行事が予定されてゐる。いよいよ遷宮気運が昂りを見せるなか、募財・広報を含めた遷宮奉賛に向けた取組みに万全の態勢で臨みたい。
○ このお木曳行事については、室町時代の一禰宜・荒木田氏経による『寛正三年造内宮記』に記録が見られ、「例に任せ」との表現から、当時すでに恒例化してゐたことが窺はれるといふ。この寛正三年の内宮における第四十回式年遷宮は、造営工事の延滞により前回から三十一年ぶりとなり、遷宮はこの後、天正十三年の再興まで百二十年余に亙って中断することとなった。朝廷・幕府の衰微により遷宮制度の維持・継承が困難となるなかで、地元の神領民によるお木曳行事の奉仕が遷宮を支へるやうな側面もあったのではなからうか。
かうした中世の中断・再興を経て、近世・近代を通じて式年遷宮は継承されてきた。その後、大東亜戦争の敗戦にともなふ神道指令の影響により神宮は国家管理を離れ、昭和二十四年に予定されてゐた第五十九回式年遷宮は四年延引の上、半官半民といふ形で同二十八年に斎行されてゐる。そして、初めて準備段階から国民総奉賛により取組みが進められた同四十八年の第六十回式年遷宮にあたり、お木曳行事に「一日神領民」として全国からの参加が認められるやうになった。
遷宮気運を醸成する意味でも「一日神領民」は重要なものと位置付けられ、のちに「特別神領民」と呼称を変へながら現在まで続けられてきたのである。
○ 伊勢の伝統行事として受け継がれてきたお木曳行事は、昭和四十年に伊勢市の「無形民俗文化財」に指定され、翌年には国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択された。このお木曳行事と、同じく式年遷宮の諸祭・諸行事の一つであるお白石持行事の伝統継承のため、同四十七年に始められたのが神宮の神嘗祭にあはせて毎年執りおこなはれる初穂曳である。
近年、少子高齢化や過疎化がわが国における課題となってゐるが、それは伊勢においても例外ではない。お木曳行事を継承してきた各町では、住民の減少や高齢化による曳手不足に悩まされるなかで、奉曳団の連合や相互支援など、いはゆる社会関係資本を活かしながらさまざまな対応を図ってゐる。またさうした状況のなかで、「特別神領民」を「おもてなし」するためボランティア参加者を募り、奉曳補助や給水などの受入れ事業を実施するといふ。江戸時代のお伊勢参りにおいて、参宮者に飲食等を提供した「施行」を想起させるものといへよう。
コミュニティの衰頽が全国各地で課題となるなか、かうした地元・伊勢における旧神領民としての誇り、おもてなしの伝統の継承は心強く、深甚なる敬意と感謝を表するものである。
○ 朝廷・幕府の衰微のなかでおこなはれた神領民によるお木曳行事は、国家管理を離れて国民総奉賛の式年遷宮となるなかで、「一日神領民」「特別神領民」として全国からの参加者を受け入れるやうになり、そして現在は少子高齢化や過疎化の影響で旧神領民による奉曳団の組織化・運営が厳しくなるなかで、伝統継承のためにさまざまな取組みが進められてゐる。
一方、この四月には式年遷宮の募財機関となる奉賛会が、まづは一般財団法人として設立登記されることとなり、来月には第一回の理事会の開催が予定されてゐるといふ。全国の神社関係者も「特別神領民」として参加し、これから盛大に執りおこなはれるお木曳行事が、募財活動をはじめとする遷宮奉賛に向けた気運醸成はもとより、その歴史・伝統に思ひを馳せつつ、遷宮の本旨や神宮の真姿、ひいては国民総奉賛のあり方について、改めて広く考へる機会となることを期待するものである。
令和八年四月二十七日
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