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論説 本庁八十周年にあたり 戦前・戦後と悠久の歴史を

令和8年05月25日付 2面

 神社本庁五月定例評議員会を中心とする斯界恒例の青葉会議が始まった。
 詳細は次号に譲るが、五月二十日には秋篠宮皇嗣・同妃両殿下御臨席のもと、神社本庁設立八十周年記念大会が挙行されてゐる。大東亜戦争敗戦後の占領下において、GHQが発した「神道指令」に基づく神祇関係諸法令の廃止等にともなひ、昭和二十一年二月三日に神社本庁は設立された。
 設立八十周年の節目にあたり、「神道指令」の影響により、神社本庁が設立を余儀なくされたといふ経緯などについても心に留めておきたい。


 振り返ればわが国の近現代史において、明治維新以降のいはゆる戦前期は七十七年間あり、終戦七十七年にあたった令和四年の段階で、戦前と戦後は同期間となってゐた。さうしたことに鑑みれば、設立八十周年を迎へた神社本庁は、すでに戦前の神道史よりも長い歴史を積み重ねてきたことになる。
 その歴史の重さについては今年二月三日の神社本庁設立記念日に際しての本欄においても、「明治維新から『八十年』後の時点は、大東亜戦争敗戦による占領期に当たり、その頃には神社本庁も発足してゐた。『八十年』に満たない日本近代(戦前)と比較した場合、現代(戦後)神社神道史の中核を占める神社本庁の歴史が、戦前よりも長い時を閲してきたといふ厳然たる事実を我々は深刻に認識しておかねばならない」(二月九日付、第三七六三号)と指摘してゐたところである。
 もとより戦前と戦後とを安易に比較し、二者択一を迫るやうなことに意味はないだらう。ただ、近現代の神道史に占める神社本庁史の割合が次第に増していくなかで、明治維新以降の神道史における神社本庁史の位置付け、その是非、これからのあり方などについて、改めて考へていくやうな取組みも重要となってくるのではなからうか。


 終戦直後の対応をはじめ戦後神社界を理論的に指導した葦津珍彦は本庁設立前後の状況について、「占領中に神社組織が分断分裂されて、日本精神が影もなく外力によって破砕されるのを、できるだけ回避するため、ともかく大合同しての戦災バラックを必要と感じた」「『神社本庁は、占領下のバラックで、新しい理想の大道は、独立後に固める』といふのが、初期先人の悲壮な心境だった」(「本庁四十年の想ひ出」、『神社本庁の四十年―若木庁舎によせて―』所収、昭和六十二年)と回顧してゐる。
 さらにその回顧とほぼ同時期には、占領下での「暫定制度」をいつしか「理想的恒久制度」と認識することで、神社本庁の精神的空洞化と無気力現象が生じてゐることを憂慮。「国の神祇制度上、神宮神社を法制的に『国の宗祀』として復古する希望が消えたとしても、神社の精神の本質が、『日本人の社会国家の精神的基礎である』との信條を死守する線からの退却は、決して許されない。神社が自ら、私人の一宗教の類と認めることは決して許されない」(未公刊文書「神祇制度思想史につき管見―本庁講師教学委員辞任に際して―」、昭和五十八年)との思ひを綴った。
 かうした葦津の指摘なども含め、先人たちの思ひを顧みながら、戦後神社界における精神・制度の理想と現実について、虚心坦懐に見つめ直すやうなことも必要だらう。


 神社本庁は、神社組織の分断分裂により日本精神が破砕されることを避けるために設立され、神社の精神の本質が日本人の社会国家の精神的基礎であるといふ信条を死守することが期待された。その戦災バラックは八十年に亙り増改築が繰り返され、この間、神社をめぐる社会環境をはじめ、神職・総代などの意識も大きく変化してきた。さうした状況において昨今は、第六十三回神宮式年遷宮の本格的な奉賛活動を控へるなか、神宮大麻頒布数の減少、少子高齢化・過疎化による人口減少と神社が基盤としてきた地域社会の衰頽など、さまざまな課題が山積してゐる。
 神社本庁設立八十周年の節目に際し、戦前の神道史・戦後の神社本庁史、さらにはわが国の神代以来の悠久の歴史を念頭に置きつつ、先人たちが理想とした神社本庁の姿を広く共有したい。その上で、改めて大合同しながら現在の諸課題と向き合ひ、二十年後の設立百周年を見据ゑた新たな出発点ともしたいものである。
令和八年五月二十五日

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