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論説 先人たちの歩み真摯に顧み 終戦記念日

令和8年08月24日付 2面

 今年も「戦没者を追悼し平和を祈念する日」の八月十五日を迎へた。
 天皇陛下にはこの日、東京・日本武道館で開催された政府主催の「全国戦没者追悼式」に御臨席になり、「おことば」を述べられてゐる。また、大東亜戦争における戦歿者をはじめ二百四十六万六千余柱の英霊を奉斎する靖國神社では、「英霊にこたえる会」主催の全国戦歿者慰霊大祭を斎行。閣僚や政権与党である自由民主党の幹部、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の議員団、遺族や崇敬者など約五万五千人が参拝した。
 大東亜戦争の終結から八十一年を経た終戦記念日にあたり、改めて英霊に慰霊・顕彰の誠を捧げるものである。


 天皇陛下には「全国戦没者追悼式」において、戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぐことの大切さを御指摘になられた昨年の「おことば」を踏襲されつつ、「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と述べられた。
 一方、昨年十月の首相就任にともなひ初めて「全国戦没者追悼式」で式辞を述べた高市早苗首相は、「戦争の惨禍を、二度とくり返させない。戦後八十一年が経ちますが、歳月がいかに流れても、この決然たる誓ひを、世代を超えて継承し、貫いてまゐります」との決意を表明。昨年の石破茂首相の式辞では、平成二十四年の民主党政権時を最後に言及のなかった「反省」といふ言葉が十三年ぶりに用ゐられたが、今年の高市首相はさうした「反省」などには触れなかったとして報道各社が取り上げた。
 大御心を体して、戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぐため、また、誰が、何を、どのやうに「反省」すべきなのかを確認するためにも、国民一人一人が大東亜戦争について理解を深めていくことが重要なのではなからうか。


 昨年の終戦八十周年にあたり本紙では、葦津珍彦「大東亜戦争の思想的性格」(昭和三十八年、本紙掲載)を再録し、引き続き、その解説を担当した藤田大誠氏(本紙論説委員、國學院大學教授)による論攷「葦津珍彦の大東亜戦争観」を掲載した。
 この「大東亜戦争の思想的性格」のなかで葦津は、「日本人の間に、強欲や専横の行為のあった事実を、われわれは否定しえない。戦線に赴いた者はその事実を目の前に見る痛恨かぎりない印象を残してゐる」ことを指摘し、「大東亜戦争は、痛恨の敗戦史であり、そこには暗い思出の事実が山積してゐる。その事実の意味を深くほりさげ、民族的反省につとめるのは大切である」と強調。さうした上で、「けれども、それだからといって日本民族の先人が、悲壮な決意をもって、国の独立を守り、東洋解放のために、世界史上まれに見る偉大な業績を築きあげたこと、そのために日本歴史はじまって以来かつてない多くの英雄たちが、その生命をささげたこと、この赫々たる歴史の一側面を見失ってはならない。この赫々たる側面を銘記することなくして、戦歿の英霊に対することは非礼といはねばならない」と締めくくった。
 かうした葦津の言を顧みつつ、「痛恨の敗戦史」に対する「民族的反省」の大切さと、見失ってはならない「赫々たる歴史の一側面」について、肝に銘じておきたいものである。


 大東亜戦争終結から八十一年の歳月を経て、実際に戦線に赴き、または銃後の戦時を生き、開戦時の昂揚感や終戦時の虚脱感など、当時の複雑かつ多様な思ひを直接に知る世代の多くはすでに鬼籍に入ってゐる。その戦争に対する評価は、先に触れた通り葦津が「痛恨の敗戦史」と断じた一方で、「世界史上まれに見る偉大な業績」とも述べたやうに、決して単純に結論付けられるものではないだらう。
 極端な自虐や盲目的な礼讚のいづれにも陥るやうなことなく、我々の父祖たる先人たちの歩み、その積み重ねであるわが国の歴史のなかで、大東亜戦争がいかなるものだったのかを真摯に見つめ直したい。もちろんさうした営為においては、なにより戦歿の英霊に対して非礼のないやう努めることが求められよう。
令和八年八月二十四日

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