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論説 宮内庁新方針 陵墓はピラミッドではない

平成19年03月12日付 2面

 第二八七三号で既報の通り、宮内庁は今年から「陵墓の立入りの取扱方針」を実施してゐる。
 基本的には、昭和五十四年に示した旧方針を引き継ぐもので、「皇霊の静謐と安寧は厳守することに変更はない」と同庁は説明してゐる。しかし、調査対象の陵墓や見学の対象者、立入り場所などに関して旧方針よりも規制が緩和されたことから、斯界では危惧の声もあがってゐる。

 「皇室陵墓令」では天皇、太皇太后、皇太后、皇后の御墳墓を「陵」(第一条)と、皇太子、皇太子妃、皇太孫、皇太孫妃、親王、親王妃、内親王、王、王妃、女王の墳墓を「墓」(第二条)と規定してゐる。現在、「陵」は百八十八カ所、「墓」は五百五十二カ所あるほか、皇族の墳墓の可能性が高い四十六カ所の墓所は「陵墓参考地」として宮内庁が管理してをり、さらに、「分骨所」「火葬塚」などを含めると、陵墓は八百九十六カ所にも及ぶ。
 いふまでもなく皇室の祖先祭祀である「皇霊祭祀」は陵墓と不可分の関連を持っておこなはれてゐる。今上陛下におかせられても、「皇室祭祀令」に基づき、神武天皇祭、先帝祭、先帝以前三代の式年祭、先后の式年祭、皇妣たる皇后の式年祭には、当日勅使を陵所に参向させて幣帛を奉られる。さらに神武天皇祭及び先帝祭の式年には親ら山陵に行幸、親拝遊ばされる。
 このやうに陵墓は重要な祭祀の場として護られてきた歴史がある。陵墓の尊厳護持を訴へ続けてきた斯界からは今回の新方針をきっかけに、今後なし崩し的に規制が緩められていきはしないかとの声も出てゐる。宮内庁には引き続き「皇霊の静謐と安寧」を厳守して対応してもらひたい。

 陵墓の学術調査を巡っては、昭和二十四年に仁徳天皇陵発掘の提案が報ぜられたほか、昭和四十七年には、奈良・明日香村の高松塚古墳壁画発見を発端に学者らが上代陵墓の発掘調査の必要性を叫ぶなど、折に触れて問題視されてきた。マスコミもその都度、この動きを煽動する報道を繰り返してゐる。先般も繼体天皇陵に関する報道がなされてゐる。
 これらの動向に対し宮内庁では、昭和五十四年から「考古学等の史学を専門とする研究者を対象として、古代高塚式陵墓(陵墓参考地を含む)の堤防、その他の外周部について、管理上支障のない範囲において、立入り見学を許可することができる」との判断から、陵墓保全整備工事にともなふ事前調査の際などに、要望する研究者の立入を許可してきた。近年では平成十六年に国内十五の学会・協会が、誉田山古墳をはじめ昭憲皇太后の鎮まる伏見桃山東陵(伏見城)など十一陵墓への立入を要請してゐる。
 学者らによる陵墓調査には、我が国の古代国家解明といふ旗印が常に掲げられる。その際引き合ひに出されるのが、かつて世界各国の古墳発掘調査が歴史研究に齎した成果である。これら古墳群の国際的な調査が世界史の貴重な資料となったのは紛れもない事実だ。しかしこれら古墳は、祭る後裔が既に絶え、かかる古代国家もまた、遙か以前に滅亡してゐる。調査の段階では風雨にさらされ古址となってゐたにすぎない。万世一系の皇室をいただき、祭祀を通じ厳粛な信仰の対象として護られてゐる陵墓とは、全く事情が異なる。陵墓の管理維持に力を尽くした先人たちも含め、敬虔な祈りによって今日の陵墓があるのだといふことを広く訴へたい。

 学術研究が不必要だ、などと主張するつもりはない。しかし、今日まで永く受け継がれてきた祭祀や信仰は、静かに安らかに、その尊厳が維持されなければならない。全国の神社に鎮まる御神体が、学術調査の対象となることを斯界が許しうるかといふことを考へれば、それは明らかだらう。
 祈りと感謝の文化を継承してゐる陵墓と、ピラミッドや秦の始皇帝陵などを同一視することはできない。陵墓を単なる好奇の対象とすることは許されないことなのだ。