もう一つ音便の話です。「向ふ」といふハ行四段活用動詞には、「向う」と書く場合があります。
「向ふ」は、「むか・はない」「むか・ひます」「むか・ふ」「むか・ふとき」「むか・へば」「むか・へ」と活用します。活用語尾のすぐ上はすべてkaの音で発音しますが、ko・uとkoの音で発音する場合があるのです。「向うに」「向う側」「向うの方」「向う三軒両隣」といった例です。すべてko・uと発音します。「むかひに」「むかひ側」「むかひの方」「むかひ三軒」のhi音が、すぐ上のkaがkoに変はったために、それにひかれて変化した、これも音便変化「ウ音便」で、この場合は「ふ」と書かずに「う」と書くわけです。
ずいぶんむづかしく説明しましたが、要するに「向ふ」と「向う」の遣ひわけは、「mukau」と「ka」で発音するときは、「ふ」、「mukou」と「ko」で発音するときは「う」と書くと覚えておいてください。
「向う三カ年の活動方針」と書くのが正しくて、「向ふ三カ年」と書くのは誤りです。
「ウ音便」で「ふ」と書かずに「う」と書くものは、このほかに「問ひて」→「問うて」、「給ふた」→「給うた」ーーなどがあります。
「現代仮名遣い」は理屈に合はないといふ例証で、一番理解しやすいのが「ぢ・じ・づ・ず」のいはゆる「四ツ仮名」の問題です。
「地面」を仮名で表記するとき、「地」は「ち」の濁音だから「ぢめん」だな、「世界中」も「中」は「ちゅう」だから「ぢゅう」だな??さう考へたあなたは「現代仮名遣い」を充分理解してゐません。これは間違ひで、「現代仮名」では「じめん」「せかいじゅう」と書かなくてはいけないのです。
小学校の先生たちは皆嘆いてゐます。「頭の良い子ほど皆この表記に疑問を持ちます」と。先生には子供にその説明がうまくできないのです。「さう書くことになってゐるから覚えなさい」といふだけです。「現代仮名遣い」は発音に重点をおいてゐますから、理屈なんかいらないのです。「ぢ」は「じ」に、「づ」は「ず」にただ書けといふのです。それなら、「ぢ」「づ」はなくなってしまったのかといふと、さうではないから困るのです。「ちぢむ」「つづく」「つづる」「ちぢれる」などのやうな同音の連呼によって生じた「ぢ」「づ」は「ぢ」「づ」と書けといふのです。
さらに、「はなぢ」「いれぢえ」「まぢか」「みかづき」まだまだたくさんありますが、二語の連合によって生じた「ぢ」も「づ」も、「ぢ」「づ」と書けといふわけです。「せかいぢゅう」が駄目で、「はなぢ」はよいといふ理屈がわかりますか。
「こんなでたらめな話はない、何とかしろ」といふ不満の声が非常に高まった。それでも文部省は長い間「現代仮名遣いは定着した」と固執してゐましたが、つひに昭和六十一年二月、国語審議会の答申を受けて、「世界中」「地面」なども「『じ』『ず』で書くのを本則とするけれども『ぢ』『づ』を用いることも許容する」としたのです。要するに、どっちを遣ってもいいといふわけです。ずいぶんいいかげんな話ですね。
「歴史仮名遣ひ」では、「ぢ、じ、づ、ず」の表記法は、「意味を尊重する」といふことをまづ第一に考へること、それに濁音をとって清音で読んでみると大体わかります。特殊なものは数少ないし、覚えるのにそんなに苦労はいりません。
「ず」と「づ」を説明したついでに、現代用語ではめったに出てきませんが、「ず」と「づ」では意味が全く逆になるといふ用例をあげませう。
「出ず」と「出づ」の問題です。文語では「ず」は打ち消しの助動詞ですから、月は「出ず」と書いた場合は「月は出ない」といふ意味です。後者の「出づ」は「出(い)でズ」「出でタリ」「出づ」…、動詞の下二段活用終止形で、「月は出づ」と書いた場合「月が出る」といふ意味になります。出たと出ないでは正反対ですが、「現代仮名」ではこの場合どちらも「出ず」と書きます。日常用語の中には「出づ」といふ語は出てきませんが、現代短歌、現代俳句の中には「出づ」を「出ず」と書いてゐる用例がよくみられます。「出ず」では「いづ」とは読めないし、出たのか出ないのかさっぱりわかりません。
やはり「ず」と「づ」の遣ひ分けはきちんとしたいものです。
元神社新報編輯長 高井和大
(『神社新報』平成元年二月から十五回連載、神社本庁研修所『歴史的仮名遣ひのすすめ』に収録)